生老病死

生老病死

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コラム
「思い通りにならないこと」の波間に、私たちは生きています。仏教の根本思想である「生老病死」の四苦は、二千五百年以上前から、人間が逃れられない現実を映し出してきました。生まれること、老いること、病むこと、そして死ぬこと。これらはすべて、どれほど強く願っても、自分のコントロール下に置くことはできません。

この「病」のなかに、現代の私たちが直面する「うつ病」を置いてみると、その苦しみの本質が、かつてお釈迦様が説いた「思い通りにならなさ」と完全に地続きであることに気づかされます。

うつ病という病気は、ある日突然、心と身体の主導権を奪い去っていきます。昨日まで当たり前にできていた「朝起きる」「服を着替える」「人と会話する」といった些細な行動すら、鉛のように重い身体と、霧がかかったような思考が拒絶してしまうのです。

私たちは普段、自分の心や身体を「自分のもの」だと思っていますが、うつ病はその思い込みを容赦なく打ち砕きます。動きたいのに動けない、前向きになりたいのに涙が止まらない。これほど「思い通りにならない」病は、他にはないのではないでしょうか。

さらに、うつ病の苦しみは「生老病死」の他の苦とも密接に絡み合っています。

「なぜ自分はこんな風に生まれてしまったのだろう」という生苦。「昔のように動けない、若々しくいられない」という老苦。そして「この苦しみが続くなら、いっそ消えてしまいたい」と願う一方で、死の圧倒的な恐怖に怯える死苦。

うつ病を患うということは、生老病死のすべてをひとつの濃密な闇のなかに凝縮して体験するようなものかもしれません。

しかし、仏教がこれらを「苦」と定義したのは、私たちを絶望させるためではありません。むしろ、「人生はそもそも思い通りにならないものだ」と正しく「あきらめる(明らかに見つめる)」ことから、本当の救いが始まると説いています。

うつ病の渦中にいるとき、私たちは「早く治さなければ」「元の自分に戻らなければ」と、さらに自分をコントロールしようともがき、傷を深くしてしまいがちです。ですが、生老病死の教えが教えてくれるのは、「いまは思い通りにならない時期なのだ」と、その痛みをそのまま受け入れる姿勢です。

うつ病という名の「病苦」は、決してその人の怠慢でも、人格の敗北でもありません。人類が誕生したときから備わっている、生老病死という大いなる自然の営みの一部にすぎないのです。

いま、もしあなたが暗闇のなかにいるとしても、それはあなたが人間として懸命に生きている証そのものです。思い通りにならない心と身体を、ただそのまま「そういうものだ」と横に置いて、嵐が過ぎ去るのを待つ。その静かな受け入れのなかにこそ、いつか再び光を迎えるための、小さな、しかし確かな一歩が隠されているのです。

                          沙門蒼俊   合掌
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