自らの設定と向き合う、ということ

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今朝起きた時に、妙な胸騒ぎを感じた
これはなんだろう?と考えた時、いまいち正体が掴めなかったのだが、この感じにはとても覚えがあって、以前の正体は、仕事先の人にどう思われるか、何を言われるか、が事あるごとに頭をよぎって不安にかられていた。
実際には何も起こっていないのに。

引き寄せのやり方の話で、
現在の現実において自分が豊かであるか幸せであるかは関係なく、自分が豊かで幸せであると感じる事で、豊かで幸せな現実を引き寄せる、というものがある。
実際に何も起こっていなくてもだ。

わかりやすく、全く同じ構図が逆方向に出来上がっている。
つまり、過去の自分は仕事先の人から悪く思われる、嫌な事を言われる現実を、だいぶ頑張って作っていたのだ。
それだけエネルギーを使って、表層の意識で望む平安や幸福と全く逆の現実を引き寄せて、なんでこんなに辛いことばかりなんだと嘆く。
あまりにも笑えない悲劇のスパイラルだ。

ではなぜそんなことになってしまっていたのか。その元となるものは、自分が無意識に行なっている設定だった。

どうせわかってもらえない
どうせ嫌な事言われる
どうせ上手くいかない

こういったものが、わざわざ意識することはなくとも、ずっと漂っていて、何か起こるとそこにばーっと群がって、その色をつけていく、というイメージだ。
そしてその色がついたものは、当然だがその方向のものとして処理される。
何か良い出来事だとしても、これで浮かれちゃいけないとか、でも実は悪い事なのではとかいう風に、なんとかその色に合わせて考えようとする。
悪い出来事なら、ほらやっぱりね、あーどうせそうだよね、と安心するのだ。

ではその無意識に行う負の設定という、なんでそんな嬉しくないことするの?という疑問がわくだろう。
これには様々な原因があるが、多くは幼少期の体験だ。
相手に悪気があるとか、意図してやっているとかは関係なく、本人すら覚えていないような出来事でも、心に深く刻まれる傷がある。
間違えて欲しくないのは、その対象が原因だと言っているのではなく、他者との関わりで「自分がそう認識した」ということだ。
その傷から、こうでなければならない・こうあるべき・これはダメ、というような設定を作る。
これは全くの思い込みで、客観的に見れば必然性や合理性はあまりないのだが、その当時の自分はそれをしなければ、比喩でなく「死ぬ」という追い詰められ方でその設定を作っているのだから、どうにもならない。

しかしそのどうにもならない状況で作った設定は、後から書き換える事が出来る。
自分と向き合って、傷を受け入れて癒してあげる事で、ガチガチに固めた設定を手放す事が出来るのだ。

ここで冒頭の話に戻るのだが、自分の場合、前述の仕事に関する設定はおそらくほぼ浄化されたのだが、その時に似た感覚があった事で、ではこれはなんだろう?と内観をしてみた。
すると上澄みがなくなったことにより、もっと深い根源的なものが明らかになってきた事がわかった。

「幸せになってはならない」というものだ

この言葉を書くだけで、多少視点が揺れるくらいには揺さぶられるものがある。
しかしその元になる体験等は記憶に浮かんでこない。
恐らく深い深いところに封じてアクセスが出来ないようにしてあるのだと思う。
でも感覚として、この設定に辿り着くためのプロセスを踏ませてもらったと感じるので、今やっとそこと向き合う時なのだろう。

自分さえ受け取れば、こんなにも贈り物に溢れた世界なのだ。
この大きな設定を書き換えた後、自分がどうなるか、ワクワクして止まない。
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