あぶりだし①

あぶりだし①

記事
コラム
とある心理学の本を、勧められて興味があったので読んでみた。
書き出し数ページで、なんか表現ひっかかるなぁと思って、しばらくほっといたw
そのひっかかっていた事に関しては後述する。
後日溜飲が下がって、まぁたまたまじゃねー?とりあえず話きこか、と読み進めて、とりあえず読了した。
結論、おれこれ以上先の事出来ます、だった。

なんかね、前提としている立ち位置が、すごーく絶妙に後ろめなんだよね。
後ろってあまりに漠然とした表現で伝わらないなーと思いつつ使ってますけどw、展開してる理論は素晴らしいし、とてもわかりやすいからめちゃくちゃ有用なものであるとは思うんです。
なんだけどそれを立脚する足場をもっと整えてあげたら、その理論はさらにさらに真理に近づくものになるよな、と感じました。
そして自分が展開するサービスでは、それが出来るという事も実感として得られた。

そういう意味で、とても読んでよかったものでありました。
あとその中のいくつかの言葉に、別に思うところもあった。

「人生の意味・人はなんのために生きるのか」という問いに明確な答えを持っていますか?

という投げかけがあったのだが、
うん、持ってる
と本当にひっかかりなく即答出来たのに、
自分でも少し驚いた
それ自体も嬉しい体験ではあったが、
後日その想いを反芻していた時に、
過去の自分が、そういったものを渇望して探し回っていた事を思い出した。
あの時点で、こんなに確固たる信念を持てているなんて想像もしていなかったし、そんなものは永遠に見つからないという論調の方を信奉していたから…あ、そうか、信じてなかったから見つからなかった、っていう、至極単純明快なお話しだったのか。書いてて気づいたわ~。
渇望している体でその求めるものを信じていなかったんだ。
振り返ってみれば滑稽な話だけど、当時は本当に苦しんでいたなぁ。
それもまた必要な過程だったということだね。感謝。感謝でしかない。

それと読んでいてもう一つ気付いた事がある。
自分の中で、人生のテーマとして掲げていた「高潔」という言葉がある。
「高潔」に照らせば、自分の本質からブレる事はないだろういうものだった。
だが読みながら改めて自分に、本当にそうか?と問うてみたところ、
「…違うかもしれない」
という答えが返ってきた。
おおおまじかよとこれもまた結構な衝撃だった。
10年くらい?はそれを標榜してきたので、まじかーーというところだ。
だがまぁ、別にそれが間違っていたとかいう気持ちもないし、変わったんだねーというくらいの感覚だ。
なにしろこの数年で、何回生まれ変わってるかわからんので、何がどう変わっても、毎度すげー!!って驚くけど、信用出来ないとか茫然自失になるような事はないし、むしろ毎度の超絶変化&進化がめちゃくちゃ楽しい。
だってほんとにとんでもなく変わるからねー。
周りからも言ってる事違いすぎると呆れられるけど、まぁ人が違うからしょうがないよねーと諦めてもらっているw
あ、話逸れたけど、「高潔」の何が違うと感じたかというと
「潔」の部分だ。
明らかな次元上昇、視点が高くなっていってるのを常々感じるので、「高」はわかる。でも「潔」は。
「いさぎよい、きよい、けがれがない」という意味で、確かにそれを求めてきたのは記憶にある。
だが今、正直全然求めてない。
なんかさ、きよいってさ、偏ってない?
汚くない、ってかんじ。汚さに対する抵抗を感じる。
全て受け入れて愛していれば、着目するのはそこじゃなくない?って思うんだよね。
だから「高潔」は今の自分にはもう適さなくなっていた。
だとしたら今は何を掲げているかなー…
あー、掲げるってのがもう違うのかも。
全ては愛によって成り立つもので、そこに還ればよいだけなので、難しい事はなんもいらないもんなぁ。
よしおわり。

あとは10億円あったらなにするー?って質問もあった。
あー、確かにお金に対する認識はずいぶん軽くなっていたけど、具体的にそこを詰められていなかったなぁと感じた。
10億は一旦自分から出てくるものではないので考えてもしゃーないので、自分の望む形を考えてみた。
イメージ出来るのは、こころ研究家のお客さんが、週4日で4人ずついる状態、あとの日はサーフィンとかなんか楽しいことする、みたいな形がいいな~と思ったので、そういう事にする。いや、もうなってる。した。その形で生きていくことにした。
おけ。

長くなっちゃったけど最初に戻りましてw
本から感じた違和感は、ある結論をあぶりだすものであった。
その事には後日気付いて、かなり大きな気付きであったため、別記事にまとめようと思う、
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