お菓子ってのは激しい中毒性があるよね。
薬物はやったことないのでわからないけど、禁止されてないっていうだけで、実はそういうレベルの依存性があるんじゃないかって思っちゃうくらい。
自分も昔お菓子断ちしてた時は、激しく禁断症状が出たあと、全く欲さなくなっていたので、お菓子ってやつは食欲とは別のものなんだろうなと思っていた。
その時に自分の中で浮かんだ言葉が、「飢餓」だ。
お腹すいたーっていう通常の空腹の時に食べ物を求める気持ちと違って、「飢餓」はもうお腹いっぱいのはずなのに求めるし、食べても食べても満たされない。まさにゾンビの求め方のそれ。
砂糖の中毒性なんかは普通に語られているからそういうものなのかもしれないけど、それでも普通に売られている。
で、今日の本題は「飢餓」なわけだが、これが食べることだけではない事に気付いてしまったのだ。
自分は以前色々の借金に悩まされていて、いつもお金の心配をしていた。
支払いの日の事を考えて憂鬱になり、収入と比較して計算してウンザリしていた。
宝くじあたって一瞬で返せたら幸せだなぁとか、なんか誰かいきなりお金くれないかなぁとか、異世界転生を望むような発想でいた。
そんな時ひきよせの法則に触れて、とりあえず真似してみようと思って、お金が入ってくる想像をしたり、お金が既にあると思って生活してみることを試してみていた。
その中で、目に見える形でお金(のようなもの)を置いてみるみたいな話もあったので、その時思いついた額3000万円の寸法を調べて、段ボールでその形を作って大きさを実感してみるのをやってみた。
それ自体は、その時の自分の借金が、この3000万に比べたらこんな小さい部分で足りるんじゃん…という感じで、自分の世界を占めていた借金が実はたいしたことないなぁという見地に立たせてくれたという意味ではしっかりと効果があったと思う。
で、その段ボール3000万円をテーブルの上に置いておいて目に入るようにしてしばらく生活していたのだが、先日友達が来る時に突っ込まれるのが面倒くさかったのでw、押し入れにしまっておいたのだ。
そしてさっき、押し入れから物をとろうとして開けて、半月ぶりくらいにご対面した。
目にした時に、自分のお金に対する感覚が全く変わっている事に気が付いた。
借金自体は以前と大して変わっていないのだが、自分の中にお金への不安が見当たらないのだ。
今もお金は全然欲しい。でもそれが、とてもフラットな欲しいという気持ちだ。
そう思った時に、以前のお金への欲求は「飢餓」だったな、と気付いたのだ。
ある意味、「お金中毒」と言ってもいいかもしれない。
お金があればお金がないとお金が何より大事みたいな、お金への偏り。
これは社会的にお金至上主義が浸透してしまっているせいなので、文化のせいとも言える。物質主義。
その源泉は当然、不安だ。
自分はその不安を徹底して受け入れて浄化してを繰り返してきた事によって、お金への偏りもバランスをとる事が出来ていたようだ。
改めて、「飢餓」って恐ろしいなと思うと同時に、そこを脱却出来た自分をとっても褒めてあげたい。偉いわー、よく頑張った!!
ちなみに自分の中では、お金と並んで科学も中毒を生むと思っている。
科学的に証明されています、っていう謳い文句をよく聞くけど、それが全てみたいな言い回しには疑問を抱かざるを得ない。
もちろん科学が無意味とは思わないし、人々の生活を豊かにする事に多大に貢献している事も事実で、その恩恵を多分に頂いて生きている。
ただそれに偏重するのはやっぱりバランスが崩れてしまう。
思うに、結局科学的な証明って、他人がやってくれる事なんだよなぁ。
こう言われたからはいそうですかと鵜呑みにする。
先生が言ってたから上司が言ってたから尊敬するあの人が言ってたから有名人や大企業が言ってるから、という権威主義とも結びつくだろう。
そもそも従来の教育がそういう風に出来てるから、構造上の問題とも言えるだろうけど。
さておき、人間には心と身体があるわけで、そのバランスはとても大事なものだ。
そこで起こる様々な事象や問題を解決するのにも、目で見えるものと見えないものの、両面からのアプローチが必要だ。
それを目で見えるもの(科学)だけで解決しようとすれば、やはりほころびが出てしまうし、その逆も然りだ。
精神論や心理学・宗教・スピリチュアルの方向に偏るのも、またバランスが崩れてしまうので、どちらも受け入れるフラットな受け皿を作る事がまず重要なのだと思う。
そのフラットな受け皿はどうやったら作れるのか。
先程自分のお金への偏りのところで触れたが、
それは不安をなくすことだ。
なくす、と言うと否定とか拒否みたいに聞こえるかもしれないけど、受け入れる、浄化する、手放すという表現の方が合っている。
不安は色んなものに根差した考え方のクセみたいなものなので、まずは自分の状態を整えて、その根源をひとつひとつ見ていって認識して、向き合って浄化していくっていう作業を繰り返していくものだ。
不安でいたいと思う人なんていないと思うから、タイミングが合って、ご縁がつながって、自分がそのお手伝いを出来たら、とてもとても幸せな事だと思う。