宗教との向き合い方

記事
コラム
自分は元々クリスチャンの家庭に育って幼児洗礼は受けていたが、ずっと教会とは無縁の生活をしていた。が、一昨年、明らかに流れを感じて勢いで洗礼を受けた。
その事自体は素晴らしい体験だったし、そのコミュニティの素晴らしい方々とは時折交流させて頂いている。
ただ今日、そこの方とお話しをさせて頂いていて、イエス・神を信じる事は本当に素晴らしい!的な論調に、どうしても賛同出来ない自分がいた。
それは元々感じていて、学生時代に洗礼を断ったのも、なんだかキリスト教の考え方に違和感があって、納得出来なかったからだ。
↑これに続く言葉を考えたが色々と渦巻いて形にならず、キリスト教の成り立ちとか色々調べていた。
ふと思ったのは、内観による自己との対話や、引き寄せの法則の考え方などはとても自分に合っていて、それによる成功体験を実際にしている。
逆に成功体験をしているから合っていると感じるのかもしれない。
であるなら、キリスト教を信奉する方々の言われる「救われた」という表現も、信仰による成功体験があるからなのであろう。そう考えたら理解出来る。
ウィキペディアで引き寄せの法則を調べたら、批判のところに「現実世界を不正確に認識する」と書いてあったが、では「正確な認識」とはなんなのか?
宗教に限らず、様々な思想・信条・習慣や文化など、生育環境もあるだろうが、人は信じたいものを信じて、その上で世界を認識している。
それに正しいも間違いもあるだろうか?
単に考え方の違いであるから、そもそも他方を批判する事自体がナンセンスである。
もちろん相容れない考え方はあるだろうから、全て受け入れろとは言わないが、意見のすり合わせこそしても、正誤を断じる事は無意味であろう。
うーん、そう考えると、キリスト教に幼少期から触れてきて、自分の考え方の根底に多分にあるだろうから、違和感はあるけどどうにか肯定したかったのかもしれない。
きっと自分がちゃんと知らないだけで、自分が尊敬する聡明な方も信仰しているのだから何かあるはずなんだろう、と考えてきた。
でも、「なんか合わねーわ」で良かったのかもしれない。
そうだなぁ、他人を信仰レベルで盲目的に信頼するのはあまり良い結果にならないし、宗教も結局人が生み出しているものだから、特別扱いせず他人との接し方と同じくらいでいいのかな。
良いとこは素直に受け入れて、違和感あるところはスルーする、くらいで。
自身の生き方や在り方に直結するテーマだと思うので、今後も常にアップデートしていきたいところである。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す