宇野千代の星③──教師、記者、作家、編集者、着物デザイナー。いくつもの仕事を生きた人の、才能の見つけ方

宇野千代の星③──教師、記者、作家、編集者、着物デザイナー。いくつもの仕事を生きた人の、才能の見つけ方

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「自分に向いている仕事が、いまだにわからない」

そう感じたことはありませんか。

いろいろなことに興味が湧いて、始めてみると楽しい。けれど、しばらくすると別のことに心が移ってしまう。周りを見ると、ひとつの道を何十年も歩き続けている人がいて、それに比べて自分は中途半端なのではないかと、どこかで引け目を感じてしまう。

そんな方にこそ、知っていただきたい人がいます。NHK連続テレビ小説「ブラッサム」のモデルとなった作家、宇野千代です。

このシリーズの第1回と第2回では、宇野千代の人生と、作家としての才能を星から読んできました。第3回となる今回は、彼女が生涯で手がけた、驚くほど多くの仕事に目を向けてみます。

宇野千代が生涯でしてきた仕事

宇野千代が最初に就いた仕事は、小学校の代用教員でした。1914年、16歳で岩国の高等女学校を卒業した千代は、近くの村の小学校で子どもたちを教え始めます。月給は8円でした。

けれど千代は、同僚の男性教員との恋が噂になって職を離れ、朝鮮の京城へ渡ります。その後、東京へ出た千代は、生活のためにさまざまな仕事を経験しました。雑誌の記者、家庭教師、そして店員。東京・本郷三丁目にあった西洋料理店「燕楽軒(えんらくけん)」では、給仕のアルバイトもしています。燕楽軒は、作家や学生が集まることで知られた店でした。ただ、千代がここで働いたのはわずか18日間だったといいます。

札幌で暮らし始めてからは、小説を書いて懸賞に応募し、作家として世に出ます。画家の東郷青児と暮らしていたころには、東郷の描いた絵を売るために奔走しました。

1936年には自ら出版社を立ち上げ、ファッション雑誌『スタイル』を創刊して、編集者であり経営者にもなります。戦後は着物のデザインを始め、自分でデザインした着物を自分で着て、雑誌のモデルまで務めました。会社が倒産したあとは着物を売り歩いて借金を返し、60代の終わりには「株式会社宇野千代」を設立して、ふたたび実業家として歩き始めます。

70代になると、岐阜の淡墨桜という老木を救うための活動に関わり、80代では自伝的なエッセイ『生きて行く私』でベストセラー作家になりました。

教師、記者、家庭教師、店員、給仕、作家、絵の売り手、編集者、出版社の経営者、着物デザイナー、モデル、実業家、そしてエッセイスト。

ひとりの人生とは思えないほどの仕事の数です。

宇野千代_ホロスコープ-1.png

星の6割が「柔らかい星座」にある

宇野千代のチャートを見ると、この仕事の多さには、はっきりとした理由があるように思えます。

西洋占星術では、12の星座を「活動宮」「不動宮」「柔軟宮」という3つのグループに分けて考えます。活動宮は物事を始める力、不動宮はひとつのことを保ち続ける力、柔軟宮は状況に合わせて形を変えていく力を表します。

宇野千代のチャートでは、10の天体のうち6つが、この柔軟宮にあります。射手座に太陽・水星・火星・土星の4つ、双子座に海王星と冥王星の2つです。

柔軟宮に星が集まる人は、ひとつの場所にとどまるよりも、移り変わる状況の中で力を発揮しやすい傾向があります。興味の対象が次々に広がり、ひとつのことを覚えると、それを別の場面に応用したくなります。環境が変われば、それに合わせて自分の役割も変えていけます。

これは「飽きっぽさ」と見られることもあります。けれど私は、そうは考えていません。柔軟宮の星が多い人にとって、仕事が移り変わっていくことは、才能が自然に流れていく道筋そのものだからです。

射手座と双子座を結ぶ「伝える」という一本の線

では、宇野千代の仕事は、ただばらばらに散らばっていたのでしょうか。

私はそうではないと考えています。彼女のチャートには、たくさんの仕事を一本につなぐ線が見えるからです。

宇野千代の星が集まっている射手座と双子座は、ちょうど向かい合う位置にある星座です。双子座は、身近な情報や言葉のやりとり、人と人をつなぐことを司ります。射手座は、遠くの世界や新しい考え、それを広く人に伝えることを司ります。この二つの星座を結ぶ線は、西洋占星術では「知る・学ぶ・伝える」というテーマを表しています。

ここで、千代がしてきた仕事を、もう一度並べてみます。

子どもたちに教える。雑誌の記事を書く。小説を書く。絵を売り歩き、その魅力を人に伝える。雑誌を創って、新しいファッションを広める。着物を自分で着て、その美しさを見せる。自分の人生を、エッセイとして語り直す。

どれも、「自分が知ったこと、心を動かされたものを、人に伝える」仕事です。

職業の名前は違っても、使っている力は同じ。宇野千代は、ひとつの才能を、教室で、紙の上で、雑誌で、着物で、と出口を変えながら使い続けた人だったのではないでしょうか。

美しいものへの感覚は、蠍座の金星から

もうひとつ、宇野千代の仕事を貫いているのが、美しいものへの強いこだわりです。

雑誌『スタイル』の創刊号の表紙を、パリで活躍していた画家・藤田嗣治に頼んだこと。着物を自分でデザインし、自分で着てみせたこと。晩年に、傷ついた桜の老木のために動いたこと。

チャートでは、美意識を表す金星が蠍座にあります。蠍座の金星は、流行や世間の評価よりも、自分が心の底から「美しい」と感じたものにこだわります。第2回でもお伝えしたように、この金星はほかの天体とほとんど角度を結んでおらず、誰にも邪魔されずに、まっすぐ自分の美意識を追いかけやすい状態にあります。

そして、天秤座にある木星が、射手座の星たちと協力し合う角度を結んでいます。天秤座は、デザインや装い、調和のとれた美しさを司る星座です。木星はその分野で、人との縁を広げ、チャンスを運んでくれる天体です。

伝える力と、美しいものへのこだわり。この二つが重なったところに、ファッション雑誌や着物デザインという仕事が生まれたのだと思います。

土星があったから、どの仕事も「本物」になった

ここまで読んで、「いろいろなことに手を出すのはいいけれど、どれも中途半端にならなかったのはなぜだろう」と思われた方もいるかもしれません。

その答えは、射手座の太陽に重なる土星にあると私は考えています。

土星は、責任や継続、時間をかけて形にする力を表す天体です。この土星が、生き方の中心を表す太陽のすぐそばにあることで、千代は、始めたことを形になるまでやり抜く力も持っていました。

『おはん』は完結までにおよそ7年をかけた作品です。会社が倒産したときも、千代は投げ出さずに着物を売り続け、借金を返しました。仕事の数は多くても、一つひとつに本気で向き合っていたからこそ、千代はどの分野でも結果を残せたのでしょう。

広げる力と、やり抜く力。この二つがそろっていることが、宇野千代の最大の強みだったのかもしれません。

「適性がわからない」は、才能の出口が多いということ

宇野千代の人生から、私たちが受け取れることがあるとしたら、それは「適性」を職業の名前で探さなくてもいい、ということではないかと思います。

「自分に向いている仕事がわからない」と悩む方の多くは、「作家」「デザイナー」「営業」といった職業の名前の中から、自分に合うものを一つ選ぼうとしています。けれど、柔軟宮に星が多い方や、星がいくつもの星座に分かれている方の場合、ひとつの職業名に自分を当てはめようとすると、どうしても窮屈に感じてしまいます。

そんなときは、職業の名前ではなく、自分が使っている「力」に目を向けてみてください。

宇野千代の場合、それは「心を動かされたものを、人に伝える力」でした。教師であっても、作家であっても、着物デザイナーであっても、使っている力は同じだったのです。

いろいろな仕事を経験してきたことは、回り道ではありません。同じ才能が、いくつもの出口を試してきた足あとです。中途半端なのではなく、才能の出口が多い。私はそう考えています。

ホロスコープは、その「力」が何なのかを、星の配置という根拠とともに教えてくれる地図です。自分では当たり前すぎて気づいていない力も、チャートの上でははっきりと見えることがあります。

次回は、宇野千代の恋と結婚を読みます

宇野千代の人生を語るとき、もうひとつ避けて通れないのが、恋と結婚です。

14歳での10日間の嫁入りに始まり、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫との結婚、そして東郷青児との暮らし。彼女はなぜ、何度も恋をし、何度も結婚したのでしょうか。

次回の第4回では、宇野千代の恋と結婚を、ホロスコープから読み解きます。

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