瞑想と死――その体験は同じ 前編

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OSHO.comから転載

インドの神秘家和尚OSHOの

サニヤシン(和尚の弟子)からの質問


「Osho, 私は死と瞑想に強いつながり

魅惑と恐怖を感じます

あなたといっしょに坐っていると

目を閉じて瞑想してもどこか安心できますが

独りだとおびえてしまいます

どういうことなのでしょうか?」



和尚OSHOの言葉



瞑想と死には強いつながりがあるだけでなく

それらはほとんど同じものだ

同じ体験に対するまさにふたつの見方

死はあなたを肉体から、マインドから

あなたではないすべてのものから離す



だが、それはあなたの意志に反して離す

あなたは抵抗している、離されたくない

あなたにはそうするつもりがないのだ

手放しの状態にはない


瞑想も、あなたの実存と現実から

あなたではないすべてのものを離す

が、抵抗はない

それだけが違いだ



抵抗の代わりに

途方もない意欲、憧れ、情熱的な歓迎がある

あなたはそれを望んでいる

心のまさに奥底から欲している


その体験は同じだ

偽物と本物の別れだが

死における自分の抵抗ゆえに

あなたは無意識になる

昏睡状態に陥る



あなたは死において執着しすぎる

死を起こさせない

すべての扉を、すべての窓を閉じてしまう

生への情欲がその頂点に達する

死ぬという考えそのものが

あなたを根底からおびえさせる


だが、死は自然な現象であり

絶対に必要でもある

それは起こらなければならない



葉が黄色く色づかず、落ちなかったら

新しい葉、新鮮な若葉はやって来ない



もし人が古い身体のなかで生きつづけたら

もっと良い家に移ることがない

もっと新鮮で、もっと新しく

新しい始まりのさらなる可能性に満ちて



おそらく、その人は過去世で取ったルート

砂漠で道に迷ったのと

同じルートは取らないだろう

意識の新しい大空のなかへと入ってゆくだろう



死はことごとく、終わりと始まりだ


終わりに目をやりすぎてはいけない

それは、古い、腐りきった

惨めなライフスタイルの終わりであり

新しい生を始める大いなる機会だ

古い失敗を犯さずにだが

あなたが生に執着し

それを離そうとしないから

ものごとの本性からして

それは起こるほかないのだが

あなたは無意識に陥る


ほとんどすべての人が

光明を得たわずかな人びとを除いて

無意識のうちに死ぬ



だからこそ

彼らは死とはなにかを知らない

その新しい始まり、新しい夜明けを知らない



瞑想はあなた自身の探険だ


あなたは

自分がなにで成り立っているのか

正確に知ろうとして探求している

自分のなかのなにが偽物で

なにが本物なのか



それは偽物から本物へ

死すべきものから不死なるものへ

闇から光への途方もない旅だ



だが、マインドと身体から離れる

そのあなた自身を

まさに目撃者として見る地点に来たら

死の体験は同じだ

あなたは死んではいない



瞑想した人は喜びに満ちて死ぬ

死などないことを知っているからだ

死は生への自分の執着のなかにこそあったのだ



あなたは言っている

「私は死と瞑想に強いつながりを感じます」

確かにある

この国の太古の教典には

マスターですら死と定義されている



マスターの働き全体

マスターの仕事全体が

あなた方に瞑想を教えることだからだ



言い換えると

マスターは死ぬことなく死ぬことを

あなた方に教えている



死の体験を通り抜けても

驚いたことに

あなたはまだ生きている

死は通り過ぎていった雲のようなものだった

あなたを引っかくことすらしなかった



それゆえの魅惑、そして恐怖だ

魅惑は、誰もが通り抜けなければならず

これまで何度も通り抜けたことがあるが

無意識になってしまった神秘的な体験を

知ることにある



そして、恐怖は

おそらく死は終わりにすぎず

もうひとつ別の始まりではないのだということ



後編へ続く



インドの神秘家和尚OSHO

講和集 The Golden Future You

より抜粋
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