15年前の今日、日本を揺るがした大きな出来事がありました。あの日を境に、世界が変わってしまったと感じる方も多いでしょう。
被災された方々、そしてそのニュースを見守っていた日本中の人々が抱えた痛みは、今もなお、静かに胸の奥に刻まれています。
私にとっても、3月11日は特別な日です。震災の数年前、同じ日に大切な家族を亡くしました。突然の別れでした。
心が追いつかないまま震災が起き、「なぜ、この日なのか」というやり場のない思いを抱え、ただ立ち尽くすことしかできませんでした。
波のように寄せては返す感情
当時、私はボランティア活動などを通じて「心の傷」について学んでいました。
しかし、自分自身の悲しみの中で気づいたのは、癒え方には決まった形も、期限もないということでした。
大きな喪失の直後は、感情が麻痺してしまうこともあります。時間が経ってから、寂しさや後悔、やるせなさが、じわじわと波のように押し寄せてくる。それは決して後退ではなく、心がその悲しみを少しずつ受け止めようとしているプロセスなのだと感じます。
「そのまま」でいること
「もっと何かできたのではないか」という自責の念や、失った瞬間の光景が消えない苦しみ。それを無理に「良い経験だった」とか「命の尊さを知るためだった」と意味づける必要はないのだと思います。
悲しみは、消そうとして消えるものではありません。ただ、共に過ごした時間の中にあった温かさや、その人が遺してくれた何気ない癖、言葉……そうしたものもまた、消えずに自分の中に在り続けるのだと気づくことがあります。
今日という日を、ただ過ごす
15年が経っても、悲しみの輪郭がはっきり残っている。それでいいのだと思います。「前を向かなければ」と自分を追い込む必要はありません。
今はただ、胸の奥にある重たい気持ちを、否定せずにそっと置いておいてあげてください。
もし今、癒えない痛みを抱えているのなら。その痛みは、あなたがその人を大切に思ってきた、そのものかもしれません。
無理に答えを出さず、今のあなたのまま、今日という一日を静かに過ごせますように。
あなたの鼓動が、少しでも穏やかでありますように。