全ての状況に当てはまるわけではないので一概には言えませんが、本当の事を知りたい、相手を知りたいと思うのであれば、「状況静観」が手っ取り早いです。
起きる出来事を、相手の行動言動を、否定することなくただただ見つめる事です。
逆に、
状況や相手をコントロールしようとすれば、
「本当の事(素顔)」を見る機会は失われていきます。
例えば、叱られる(または、否定される、疑われる)事の多い子供は、親(あるいは他者)の顔色を伺うようになります。結果、仮面をかぶるようになり、知られたくないと隠すものが増えたり、本当の自分をうまく見せられなくなります。
それは、恋愛しかりどの人間関係においても同じですが、相手を知りたい、理解したい、相手とこれからどうしていこうか見極めたい、そう思うのであれば、まずは、「素の自分を見せてもいい」そう思える安心感を与えると良いです。
その無防備な姿にこそ、本当の姿が映し出されるからです。
よく、人は心の余裕の無い時にこそ本性が現れるといいますが、それも間違いではないですが、無防備な時こそ、もっともっと本質は映し出されるように思います。
人は、無意識のうちにたくさんの「仮面や鎧」を身に纏い生きています。
人は、家族と居る時の顔、仕事の顔、友人に見せる顔、恋人に見せる顔、一人でいる時の顔etc、いろんな顔を使い分け生きていて、それは決して悪い事でも特別な事でもなく、人間という生き物はきっと大なり小なりそういうものなのだと思いますが、
「この人はどんな自分も受け入れてくれる」そういう安心感を与えた時にこそ、その人の本質が良く見えます。
こんな一面があるんだ。
本当はこんな事を思ったり考えているんだ。
そういう発見も多くなり
それは、決してポジティブな発見ばかりではなく、
ネガティブな部分も露わになっていきます。
知れば知るほど相手に魅了されていく事もあれば
中身が空っぽである事に気づく事もあり、
知れば知るほど違和感を覚えたり傷ついたり
自分が自分であれない窮屈感を感じる事もあるでしょう。
あなたを心から大切にしようと思う人もいれば、
都合よくあなたを利用し搾取しようとする人も出てくるでしょう。
それらに対して、あれこれ分析する必要はないです。良い悪いのジャッジをする必要もないです。
ただただ見つめ続けてください。
前の前で起きる出来事を否定も肯定もせずただただ見つめてください。
自分がどんな感情を抱くのかも、ただただ静観し続けてください。
それが、「今の時点」での事実であり、答えです。
良い所も悪い所もひっくるめて愛おしいと思えるのか。
自分も素をさらけ出していけると思える相手なのか。
求める方向性や価値観のズレを感じるのか。
自分が本当に必要とする、求めるものなのかetc
きっと、欲しかった答えが、事実真実が、ハッキリ見えてきます。
見つめる目を養うという事は、
事実・真実を知るという事は、決して幸せとは限りません。
傷つきたくない、都合の悪いものは見たくない感情が強いうちは、「見つめる目」は使えないと思います。
使えたとしても使わない方が良いです。
受け入れたくなくて、目を閉じたくなっちゃうと思います。
それはそれでいいのです。
見なくていい知らなくてい事もたくさんありますし、それでも生きていく事は出来るので、いいのです。
ただ、「見つめる」=「受け入れる(自分を抑える)」はイコールではない=むしろ「冷静に客観的に」見つめられる分、堂々と自分らしくいられるようになりますし、
「見つめる」先で映し出される世界をもとに、自分に必要なもの・必要ではないものを見極め切り分けていけるようになったり、ずっと悩んでいた事に対して自分なりの後悔なき心の落としどころや方向性を見つける大事な判断材料になる事は、結構あります。
「まっすぐ見つめる」とは、そういうものです。
時に、見つめる方も、見つめられる方も、「覚悟」が求められる、のです。
それでは、また!
natsu