離れて暮らす親を想う夜に

離れて暮らす親を想う夜に

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「離れて暮らす親のことが、ふとした瞬間に頭をよぎります。何かしてあげたいのに何もできていない気がして、そんな自分が嫌になります。どうしたらいいのでしょうか」。この問いは、私のもとに本当に多く届きます。文面はそれぞれ違っても、根にあるものはよく似ています。心配していることそのものよりも、心配しているだけで動けていない自分を責める気持ちのほうが、その方を苦しめているように感じられるのです。

まず、ひとつお伝えしたいことがあります。気がかりであるということは、それだけで既に関わっているということです。波動を視させていただくと、離れて暮らすご家族のあいだには、距離とはまったく別の線が通っていることがよくあります。会えていない期間の長さと、その線の細さは比例しません。むしろ、日々の中でふと相手を思い出す回数のほうが、そこには表れているように感じられます。ですから、何もできていないというご自身への評価は、少し厳しすぎるかもしれません。

とはいえ、思っているだけでは足りない気がする、というお気持ちもよくわかります。その感覚は、どこかで「親孝行とは大きなことをすることだ」という前提とつながっているのかもしれません。まとまった時間を取って帰省する、暮らしを支える、体調のことを本格的に考える。どれも大切ですが、どれも準備が要ります。準備が要るものばかりを思い浮かべていると、できていないことのリストだけが増えていきます。

私がお伝えすることが多いのは、もっと小さくて、そのぶん続けられることのほうです。用件のない連絡を、ひとつ増やしてみる。何かを伝えるためではなく、声を聞くためだけの数分間を持ってみる。写真を一枚送ってみる。相手にとっても、こちらにとっても、負担にならない大きさのやり取りです。頻度が上がると、いざ何かを相談したいときの敷居が下がります。用件がなければ連絡しない関係のままだと、用件ができたときにお互い身構えてしまうことがあります。

もうひとつ、お話ししておきたいことがあります。心配という気持ちは、そのまま伝えると、時に相手を縮こまらせてしまうことがあります。大丈夫かと問われ続けると、人は大丈夫だと答える側に立たされてしまうからです。ご自身が親御さんに向けたい気持ちが、心配ではなく関心のほうであるなら、問いかけの形も少し変わってくるかもしれません。最近どうしているか、何が楽しいか、何を食べたか。そうした問いのほうが、答える側にとっても軽いものになります。

そして、ご自身の側についても、ひとつだけ。この種のご相談をくださる方は、自分の生活がうまく回っていない時期に、親御さんへの気がかりが強くなる傾向があるように見受けられます。心の余白が減ると、気がかりは重さを増していきます。ですから、思うように動けない時期があっても、それはご自身の薄情さの証拠ではないと私は考えています。

離れているという事実は、変えられないことも多いものです。それでも、そのあいだをどう流れさせるかは、いくらでも選べます。今日できる小さなことがひとつでも見つかれば、それで十分だと思います。

もし、ご自身と親御さんのあいだに今どのような流れがあるのか、静かに視てみたくなられた時には、プロフィールページをのぞいてみてください。
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