徒然ぬ

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コラム
ものすごくと長い文章だよ。読むにはそれなりに覚悟がいるかもw
 戦争体験というより、戦争で実際に兵士として従軍した体験ね。
空爆受けたとか、受身なだけの体験じゃなくてね。
 まあ、そんな人は一人や二人じゃなないわけで、特に50代より年配の人は、多いのじゃないか。親じゃなくても、祖父とかがね。

 そうゆう、50代60代の人が、戦争を語るときに、自分の主張の信頼度というか、信憑性というか、権威性というかを強調したいがために、親が戦争体験者だったとか、祖父が最前線にいたとか、言ったり書いたりすることがあるんだな。
 実は僕も過去にそんなことを書いたことがある(^^;
まことに恥ずかしい話だ。
関係ねぇ~じゃんと。
 戦争体験とか言っても、親父にしろ祖父にしろ、その人たちの体験は、その人たちのいた場所のそれだけじゃん。戦争の総合的なことを体験したわけじゃない。それを親父・祖父変換して聞かされたことを、何をえらそうに自分の体験みたいに、言っちゃってるのとw
 体験談が、無駄とかいうつもりはないさね。むしろ貴重なんだと思う。そうゆうこともあったという資料としてね。
でも錦の御旗にはならない。そうゆうこと。
それを踏まえてw
一体験としての話。
 僕の祖父は、結構な財産家の家に育ったらしいのだけど、育ててくれた夫婦の相次ぐ死で、遺産相続の問題が親戚間で紛争の種になった。
 祖父は、まだ少年な年齢で、そういった争いに恐怖を感じ、嫌気がさしたらしく、そこを逃げ出すために、軍隊に志願した。当時の最前線は、満州より北や西にあったのだけど、志願兵だったからなのか、子供過ぎたからなのか、調理専門としてテグ(大邱)あたりの兵舎での勤務となった。だから、小銃を撃ったことがあるのは訓練の時くらいで、実戦経験はとうとう一度もなかったらしい。
 そこで韓国女性と結婚し、満期除隊して故郷に帰った。兵役を勤め上げて帰れば、親戚も評価してくれるのに違いないと言う打算もあったのかもしれない。
 でも、そうはならなかったようで、親戚の一人が自分の船を持っていて漁に出るので、それに乗せてもらいって糧を得る。
 そんなさなかに、日本はアメリカと戦争を始める。
 漁で苦労するよりも、軍にいた方が楽だったと思ったのか、祖父は再び軍に志願した。今度の派遣先は台湾。
 憲兵の上級将校として、ひとつの町の管理まで負かされたというのだから、大出世だが、戦局は一機に悪化。
 結局敗戦し日本に帰国。
 ところが日本に帰ってみると、とんでもない噂が広がっていた。日本軍の将校はみんな逮捕されて戦犯として処刑されるというものだ。
 超ビビッた祖父は、朝鮮半島への脱出を試みる。
 テグにいた当時、祖父は周りの人たちに、かなりよくしてあげたようで、仲もよかったらしく、だから、きっと助けてくれるのに違いないと思ったようだ。
 他の脱出者や帰国者とともに漁船に乗り込み、朝鮮半島に降りた。
 そして祖父は自分の考えが甘かったことを痛感することになる。以前に知り合った人の家を一軒一軒回ってお願いするが、誰も受け入れてはくれない。お世話になったことは感謝しているけど、今貴方を受け入れたら、村にいられなくなるかもしれない。と言ってくる家はいい方で、罵りながら石を投げつけてくる人までいたという。
 さんざ、尋ねまわり、絶望しかけていたとき、一人の農夫がこう言った。
「日本人のあんたを助けたら、周りからどんなめに合わされるかわからないし、村に住めなくなるかもしれない。だから、助けてあげることはできない。」ここまでたずねた他の何件かと同じだった。
が、話には続きがあった。
「裏の山の奥に畑があって、そこに小屋がある。しかし、自分も歳だし、山に上がって畑仕事をするのはもう無理だから、その畑も小屋も使わないし、行くことも無い。だから、そこに誰かが住んでいても、自分には分からないし関係ない。」
 祖父は涙ながらに感謝したそうである。
 結局、韓国には僕が生まれて2歳になるまで(日韓国交正常化)住んだ。
 祖父が台湾にいた時期、家族も台湾に連れていっていたのだが、そこで、僕の父が生まれた。周りから「ぼっちゃん」「ぼっちゃん」と呼ばれて、甘やかされたようで、勝気で暴れん坊に育ったようである。
 本人の談によるとその頃は、米軍の爆撃機もしょっちゅう飛来するようになっていて、そのたびに、家の屋根に上がって(本当は防空壕の中にいないといけないのに)パチンコで爆撃機を撃墜しようと試みたらしいw
 それが一転して、惨めな山暮らしである。本人の中にどういう葛藤があったかは、想像もできない。と言いたいところだが、結局、天真爛漫に育ったようで、山の中を走り回って遊んでいるうちに、随分すばしっこくはなったようである。
 ちなみに、当時はまだ、朝鮮半島の山の中には野生の虎がけっこう生息していたらしく、出くわすこともあったようである。
 山の中は豊だったので、虎にも十分餌はあったろうし(それでも襲われる事件がなかったわけではないが)だから、ぎゃ~ぎゃ~わめきながら、迫ってくる人間の子供がいれば、虎はビックリして逃げるほうが当たり前で、決して父がものすごいわけではないのだが、父は「自分って、すげぇ!」と思ったようであるw
 そうこうしているうちに、朝鮮戦争の勃発である。
 その頃にはすっかりふもとの人とも交流するようになっていたこともあって、金日成軍の接近に伴い、避難するよう指示されて、山を降りることになった。
 その時点で15歳か16歳くらいだった父は、志願したのか勝手に同行したのか、最前線にも顔を出したようである。実際、当時15・16歳ばかりの小隊もあったというから、出来ないことではなかったと思う。
 戦果に関しては、父からいろいろ聞かされてはいるけど、信頼できるネタじゃないし、教訓にも参考にもならないので、書かないけど(^^;
 軽く触れると、自分の考案した作戦はことごとく成功したとか、金日成暗殺計画に参加したが北の捕虜になって処刑される寸前、脱出に成功したとか、果ては、世界中の元首にアドバイスしたとかw
 たぶんに映画の影響と思しき内容も多々(^^;
 そんなにすごい人物なら、今頃は何もしなくても、ひと財産あるだろw
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