【最善を尽くしながら時を待つ】

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日常的スピリチュアル、安田です。

私たちができることは
最善を尽くしながら
時を待つことです。
最善を尽くしても
時が満ちていなければ
実らせることはできないのです。
時というのは
自分ではコントロールが
できないことなので
待つしかない場合があるのです。
逆に時が満ちていても
最善を尽くせなければ
実らせることはできません。
時と最善を一致させることで
実らせることができるのですが
時というのは
分かるようで
分からないのです。
今は転換時代ではあるのですが
この時というのは
私たちには
変えることはできないのです。
時は変えることが
できないので
時に合わせるしかないのですが
時に合わせるためには
時に対しての
悟りが必要なのです。
ただ、悟ろうとしても
悟っている中で
時が過ぎてしまうことも
あるのです。
常に最善を尽くしてきた人は
時が来る前に準備をしていたのですが
変化してから
慌てて合わせようと
する人が多いのです。
遅かったということではないのですが
準備ができていない人は
時が来ても変化に合わせることは
できないのです。
どんなことにも
準備が必要なのですが
その準備をしてこなかった人は
思い立った時から
準備をするしかないのです。
最善を尽くしている人は
時代の先を行くことができます。
無意識に
時代の先を行って
待っているような
歩みをしているのです。
最善を尽くしているかどうかの
基準というのは
積み重ねる歩みを
しているかどうかが
基準になっていきます。
積み上げる歩みというのは
ごく小さなことなのですが
毎日、コツコツと
続けることで
確実に積み上げることが
できるようになります。
地味なことを続けることが
できない人が多いのですが
現実の私たちは
地味なことしかできないし
大したことしかできないのです。
どんなに最善を尽くしても
大したことはできません。
時間、空間の制限と
環境の制限もあるので
大したことができないのです。
最善を尽くすというのは
投入することをいいます。
今できることの全てを
投入することをいうのです。
投入する歩みを
していくには
集中できるように
工夫をしていくことが
必要なのです。
なぜなら、現実の環境は
集中しやすい環境には
なっていないからです。
最善を尽くせる環境は
待っていても与えられません。
最善を尽くせない環境は
否応なしに与えられる
場合がありますが
最善を尽くせる環境は
自分で工夫するしかないのです。
最善を尽くせているかどうかは
自分で知っていることなのです。
誰にも知られないように
最善を尽くしていくことで
自分で知ることができるのです。
他の人の評価というのは
良くも悪くも無責任なのです。
ちょっとしたことでも
やたらと褒めてくるし
最善を尽くしても
否定してくるので
何の基準もない
評価なのです。
他の人の評価を
基準にしてでは
最善を尽くす歩みは
できないのです。
自己評価を基準にして
いくのですが
自己評価の基準というのは
感じている境地が
基準になるのです。
最善を尽くす歩みが
できているのであれば
あとは時を待つだけなのです。
その時は
コントロールができないので
満ちるまで待つしかないのです。
どんなに時代が変化し
テクノロジーが発達しても
私たちの歩みの基本は
変わらないのです。
与えられた環境の中で
最善を尽くすことが
基本的な歩みになるので
その基本的な歩みは
忘れないようにしてください。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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