【予言に対しての解釈】
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学び
日常的スピリチュアル、安田です。
予言に対しての解釈を間違ってしまうと
予言に振り回されてしまうのです。
「何年何月何日に、これが起こる」という
予言が多いのですが
起こるか、起こらないかは
その時にならないと分かりません。
予言というのは
起こる可能性があるということであり
絶対に起こるということではないのです。
仮にすべての予言が
正しかったとしても
起こることもあれば
起こらないこともあります。
予言というのは
人の責任の全うによって
左右されるのです。
その責任の全うというのは
すべての人が責任を
全うするということではなく
使命が与えられた人が
責任を全うするか、どうかによって
予言が左右されるのです。
なので、予言というのは
その通りに起こるか
起こらないかは
分からないのです。
なぜなら、誰がどう
責任を全うしているかは
分かりようがないからです。
必然的に起こることはありますが
絶対に起こるということはありません。
予言に振り回されてしまうと
自己責任というのが
ぼやかされてしまうのです。
何もかもが決まっていて
どうすることもできないという
思い込みによって
自己責任を全う
できなくなってしまうのです。
私たちの歩みは
できることをやるしかないのです。
予言がどうであれ
最善を尽くすことが
できていればいいのです。
いくら都合が良い予言でも
何もしないで都合よく
起こることはありません。
どんな予言でも
「起こる可能性がある」と
捉えていくことで
予言に振り回されないで
やるべきことができるのです。
未来予測というのは
時代が向かっている
方向のことをいいます。
いずれ、必然的に
成されていくのですが
責任を全うするかどうかで
短縮されて成されることもあれば
成されることが先に延びることもあります。
分かりようがないことに
振り回されてしまうと
やるべきことができなくなり
集中する歩み、投入する歩みが
できなくなってしまうのです。
出来事というのは
起こってから
対処するしかないのです。
事前準備はできるのですが
どんな準備をしたとしても
実際に起こってからでなければ
対処することはできません。
予言的な情報発信をしている人は
実際に起こっても、起こらなくても
何の責任も持たないし
持ちようもないのです。
予言的な情報発信が
悪いということではなく
予言に対する解釈が
できていない人が
多いということを
知らないといけないのです。
実際、予言というのは
当てようと思えば
誰でも当てることができます。
地震の予言であれば
毎日、予言していれば
いつかどこかで当たるのです。
根拠があるような
予言であったとしても
絶対的ではないのです。
シナリオは決まっていたとしても
シナリオの通りに歩むか、歩まないかは
自己責任になっていくので
絶対的な予言はできないのです。
都合が良い予言でも
都合が悪い予言でも
振り回されてはいけないのです。
「どっちでもいい」という考え方によって
予言に振り回されないで
やるべきことに集中することができ
投入することができます。
何が起こるか分からない
時代ではあるのですが
どんな時代であったとしても
できることしかできないのです。
できることに最善を尽くせていれば
時代の変化、環境の変化に
振り回されないで歩むことができ
努力を続けることができます。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌