【知識を参考にする訓練】
記事
学び
日常的スピリチュアル、安田です。
知識を学ぶことは必要なのですが
知識というのは参考にすることであり
参考にしたことを通して
悟ることができるのです。
知ることというのは
一瞬で出来るのですが
悟るのに時間がかかるのです。
知っていても
悟っていないことを
自覚していくことで
悟る意識ができるようになります。
学ぶ努力の継続が必要なのは
悟れていないからです。
知っていても
悟れていないので
繰り返しの学びが必要なのです。
悟りの境地というのは
人それぞれで違うので
自分が悟った境地での
歩み、努力ができるようになるのです。
知識を参考にする訓練というのは
知識を全て鵜呑みにしないという
意識をしていくことをいいます。
どんなことを学んでも
誰から学んでも
参考にするしかないのです。
なぜなら、人それぞれで
環境、状況が違うので
自分で答えを見いだす
しかないからです。
知識を参考にする意識
訓練ができるようになることで
自分の答えを見いだすことができ
悟りの境地に至ることができます。
どんなことを学ぶにしても
悟りの境地に至ることが
学ぶことの目標でもあるのです。
知識をただ知っているだけでは
何の価値もないのです。
今や知識だけであれば
人工知能に聞けば
こと細かく教えてくれるので
いくらでも知ることができます。
悟りの境地に至ることで
できなかったことが
できるようになるのです。
知っているだけでは
実行することはできないのですが
悟ることによって
実行することができます。
自分がどこまで
悟れているのかの把握は
どこまで出来るようになったかで
把握することができるのです。
人工知能がより身近になることで
「悟り教育」がより求められてきます。
人工知能は結論的なことを
教えてくれるのですが
悟れるように導くことはできません。
「知っていることを、いかに悟るか」
ということは、いつの時代でも課題なのです。
私たちは、大抵のことは知っているし
どんなことを学んでも
当たり前のことを学んでいるのです。
知っていても
当たり前のことを
学んでいても
できていないから
学び続けることが
必要なのです。
学びというのは
できていることを
学ぶのではなく
できていないことを
学ぶことによって
違和感、居心地の悪さを
感じないといけないのです。
違和感、居心地の悪さを
感じることを求めることで
必要なことを学ぶことができるのです。
必要なことというのは
知っていることで
できていないことであり
反射的に拒否したいことなので
意識的に求めていくことが必要なのです。
どんな人でも
独断と偏見があり
偏ってしまうのです。
なので、意識的に
刺激を受け入れていくことで
偏っていることに
気づくことができます。
独断と偏見は必要なのですが
たまに、時々でも
刺激を受け入れることで
独断と偏見さを
活かすことができます。
違和感、居心地の悪さを
感じることを求めるには
心理的な余裕さが必要なのですが
地道な努力を続けることで
心理的な余裕さができ
違和感、居心地の悪さという
刺激を求めることができます。
できていないこと
できそうもないこと
できる気がしないことを
求めることによって
効果的な学びができ
悟りの境地に至ることが
できるようになります。
知識を参考にする訓練によって
自分の答えを見いだすことができ
悟りの境地に至ることができます。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌