【鍛える感覚の歩み】

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日常的スピリチュアル、安田です。

成長するため
成長欲求を満たすには
訓練が必要なのです。
何をするにしても
訓練感覚の歩みができれば
成長することができ
成長欲求が満たされるのです。
訓練というのは
負荷をかけることであり
苦しさを感じるのですが
その苦しさの先に
成長欲求が満たされるのです。
私たちの本能は
「痛みを避けて、快楽を得る」
ということを、求めていますが
本心基準で求めているのは
成長欲求なのです。
時代が成熟することで
より成長欲求が強くなるのですが
本能の欲求が残っているので
成長欲求を反射的に
拒否してしまうのです。
何かが満たされていないことを
感じているのですが
その何かがよく分からないのと
成長欲求だとは認めたくないのです。
なぜなら
成長欲求を満たすには
努力が必要であり
訓練が必要だからです。
努力、訓練というのは
生みの苦しみのような
負荷をかけることなので
本能基準では避けたいのです。
本能基準では避けたいのですが
本能基準では満たされないので
空しさを感じてしまうのです。
本心基準の欲求を満たすことに
目覚めることができれば
訓練を求めることができます。
訓練といっても
大それたことではなく
今の環境、状況の中で
最善を尽くすことなのです。
訓練される環境で
歩むことも必要なのですが
自己訓練ができるような
工夫も必要なのです。
訓練される環境というのは
特別な環境であるのですが
自己訓練というのは
現実の環境の中での訓練になります。
現実の環境というのは
流されやすいし
ありとあらゆる誘惑があるし
いくらでも妥協ができます。
いくら妥協しても
基準低く歩んでも
誰も何も文句を言わないし
流されていることにも
気づけない場合もあります。
現代人の厳しさというのは
成熟した時代、環境の中で
努力をし、訓練することなのです。
訓練するしかない環境であれば
諦めて環境に合わせるしかないのですが
訓練をしなくても、何の支障もない環境の中で
訓練を求めることが簡単ではないのです。
本心基準の欲求が
強くなっていくことで
努力することを求め
訓練を求めるようになります。
本心基準の欲求を
目覚めさせるには
小さなことから始めて
習慣にしていくことで
何かが満たされます。
「継続ができた」ということで
本心が満たされるのです。
ごく小さなことでも
努力することができれば
努力することで満たされることを
感じることができるのです。
その感覚を拡大していくことで
自然に努力することを
求めるようになり
訓練を求めるようになります。
努力、訓練は負荷をかけることなので
義務、強制はできません。
自分から主体的に求めていくことで
努力することができ
訓練することができます。
自己訓練を極めることで
自己ペースで歩めるようになり
基準高く歩むことができます。
基準高く歩むことで
より大きなことに
貢献することにつながる
歩みができるようになります。
鍛える感覚の歩みが
できるようになれば
成長欲求を満たすことができ
成長欲求を満たすことで
自然に貢献欲求を
満たすことに目覚めます。
努力をすることで
訓練をすることで
満たされることを
悟ることができる
時代になったのです。
成熟した時代、環境を
土台にしていくことで
より高い次元の欲求を
満たすことができ
建設的な欲求によって
充実した歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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