【自分の本心基準を信じる】

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日常的スピリチュアル、安田です。

本心基準というのは
誰でも持っていて
本心基準は完璧なのです。
本心基準しかなければ
完璧な歩みができたのです。
本心基準で歩めなくなったのは
本能が本心よりも強くなって
しまったからなのです。
本能は生存するために必要なのですが
本能が軸になってしまい
本心を無視するような
歩みをしてしまったのです。
本心基準は残っているのですが
心の深いところに残っていて
本能によって覆いかぶされています。
本心基準を呼び起こすために
瞑想の習慣が必要なのです。
瞑想の習慣によって
心の深いところに入ることができ
本能を突破することができれば
本心基準を掘り起こすことができます。
それが悟りの境地であり
本心基準で歩めるようになり
基準高く歩めるようになります。
本能を突破するまでが
大変なのですが
現実的には
そこまでの境地に至れる人は
そう多くはありません。
それこそ、瞑想を
何十年も続けて
何万時間という
時間の投資によって
本心基準に至ることができるのです。
この境地は
生涯をかけて
目指していくのですが
本能の突破ができていなくても
本心基準は分かるのです。
時代の恩恵によって
本心基準が分かるようになり
本心基準に合わせる歩みが
できるようになったのです。
本心基準に至った境地は
本能との葛藤がなくなり
何をするにしても
スムーズに歩めるのです。
私たちの葛藤というのは
本能が強くなっているので
葛藤するのです。
本能が強くなっているのは
本心が弱くなっているからなのです。
ある意味
本能の基準はそのままであり
本心の基準の弱さが
問題だということです。
本能は弱くはならないので
本心を強くするしかないのです。
本心を強くするために
基本的な努力である
学び、実行、瞑想、運動の
習慣が必要なのです。
自分に自信が感じられなくても
本心基準を信じることが
できていればいいのです。
漠然とでも
本心基準を信じることで
自信を感じることができ
本心基準で歩みたくなるのです。
本能を基準にした
歩みをしていたのでは
自信が感じられないのは
当然なのです。
何の努力もしないで
自信を感じようとすることは
不可能なのです。
自信を感じたいのであれば
努力をしていけばいいのです。
努力をしないで
自信があるというのは
単なる傲慢なのです。
努力というのは
本心基準で歩むことなので
自然に自信を感じることが
できるのです。
自信が無い
感じられないことで
悩むのではなく
努力ができていない
続けられていないことで
悩んでください。
自分の本心基準を見ることで
自信が感じられるようになり
その自信から基準高く歩めるのです。
本心基準を悟ると
基準高く歩めるのですが
その基準はあまりにも高いので
身体がついていけなくなる
危険性もあるのです。
そこまでの悟りの境地には
まだ程遠いので、今すぐ
心配することではないのですが
本心基準というのは
今の私たちの基準では
考えられない基準なのです。
なので
本心基準は無条件に
信じることができるのです。
あまりにも基準が高いので
その基準を目指すことに
恐怖を感じてしまうこともあります。
ですが、時代が進んでいる方向は
本来の基準、究極の理想を
実現する方向に進んでいるので
必然的にその方向に合わせるしかないのです。
本心基準に合わせることを
意識していくことで
基準高く歩むことができ
建設する歩みができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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