【いたずら心からの創造】

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学び

日常的スピリチュアル、安田です。

創造する歩みをするには
適度ないたずら心も
必要なのです。
いたずら心によって
柔軟さ、臨機応変からの
歩みができるのです。
時代の変化が早いので
同じことをいつまでも
続けられなくなる分野が
多くあるのです。
いたずら心というのは
妄想でもいいのです。
妄想することによって
物事を違う視点から
考えることができ
新しい発想が
できるようになります。
創造するためには
発想が必要なのですが
発想には柔軟さと
臨機応変さが必要なのです。
これから必要がない分野は
無くなっていき
全く新しい分野が
出てくるようになります。
新しい分野が
出てくることで
新しい知識、技能が
求められるのです。
新しいことは
誰かが発想したことなのですが
発想していくには
好奇心が原動力になるのです。
いたずらな発想
馬鹿げた発想を
していくことで
新しい価値創造が
できるようになるのです。
「こんなことができたらいいな
 あんなことができたらいいな」
という
好奇心からの発想が
創造の資本になるのです。
形にできる能力がなくても
発想ができるようになれば
価値を生み出しているということです。
いくら形にできる
技能があっても
発想ができなければ
何も生み出すことはできないのです。
いずれ、誰もが
人工知能をこき使うように
なるのですが
人工知能では
できないことができないと
こき使うことはできないのです。
発想は人にしかできないので
新しい発想ができる人は
変化に貢献することもできるのです。
発想力を見い出していくには
発想ができるように教育され
学ぶことが必要なのです。
暗記教育では
発想力が弱くなります。
覚える工夫はできますが
新しい発想ができなくなるのです。
今の成熟時代に
何を発想し、創造したら
いいのかが分からないのですが
今の成熟時代だからこそ
発想できることがあり
創造できることがあります。
時代が進んでいる方向は
調和時代なのです。
調和をしていくには
特定の人だけの発想では
偏りが生じてしまうのです。
今の世の中は
「トップ1パーセント」という
偏りが生じています。
1パーセントの人の発想で
99パーセントの人が
操られているので
歪みが生じているのです。
誰が悪いということではなく
あまりにも偏っていることに
気づくべきなのです。
究極の調和時代は
誰もが発想することができるので
偏らなくなるのです。
それぞれの個性を
発揮することで
自然に調和されていくのです。
現実的に、発想力は
自分で身につけるしか
ないのですが
発想力は基本的な努力を
続けることで身についていきます。
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動を続けることで
発想することができます。
基本的な努力に集中し
投入していくことで
真空状態をつくることができ
新しい発想ができるのです。
発想は、感じている境地から
できるようになるのですが
何を感じているのかを把握する
言語化が必要なのです。
感じている境地を
言語化することができれば
形にすることができます。
言語化していくためには
学びの土台が必要なのです。
多くのことを学ぶことで
多くのことを知ることができ
発想の幅を広げることができるのです。
いたずら心も
一つの発想なので
実際にいたずらをしなくても
妄想だけでもできれば
そこから新しい価値を
生み出すことができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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