言葉の達人は、言葉に助けられ言葉を吸い込んで言葉を書くようになった。
言葉に伴走されて生きてきました。
人間関係は苦手、小学校の休み時間は自由帳にセーラームーンを描いていたし、図書室に足繁く通っては占いの本を何度も読んでいた。生まれて初めて読んだ小説は、家にあった赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズ。
中学生のときにいじめられて教室が居心地悪くなったら図書室に行った。当時大好きだった浜崎あゆみの歌詞を、ルーズリーフに転記してファイリングして、新曲が出るたびに書いて増やして、を繰り返していた。痛みを書いて歌うことに影響を受けたし、いまだにあゆの歌詞は私の原点。
高校で夏目漱石の『こころ』を授業で習ってから小説に夢中になる。太宰治、芥川龍之介など、内側から握り締められるようなものから始まり、大学生卒業までに江國香織、金原ひとみ、石田衣良、村上春樹、よしもとばなな、岩井俊二、山本文雄など。ここで挙げた作家たちの影響は、今でも私の核にある。作詞、詩などによく表れている。高校生の時は『毒になる親』を読んでいた。母親との関係に悩み始めたのもこの頃。
大学生の時、ブログ最盛期。例に漏れず私も書いていた。詩を投稿したり、日常のことを書いたりしていた。それとは別にmixiもやっていて、それのほとんどは大学のサークルの面々とのやりとりに使っていた。そこで、サークルのメンバーが私の日記を絶賛してくれた。「さいなの文章めっちゃ面白いよね!」と。そうなのか。と思った。確かに私は日記を楽しんで書いていた。ものすごく楽しかったし、私は私の文章が好きだった。それが、なんと他の人に楽しんでもらえている!と、不意に光が生まれるような瞬間だった。なんてこった!
大学在学中に私は双極性障害を発症する。療養のため就活もできず、2年生後期の休学申請も間に合わず、4年生の最後に単位が足りなかった。高校までは優等生で学年で一桁の順位を堂々と取っていた私には、とても大きくてショックなできごとだった。5年生の前期で十分は単位を取得し、同年9月に地味に卒業した。
卒業後に抜け殻みたいな日々を過ごしていたはずだ。この障害は躁や鬱の重い症状が出て落ち着く過程で記憶がなくなったり薄くなったりするから、記憶はない。記録と辻褄合わせの結果そうだろう、と思うから、曖昧な言い方になる。
この抜け殻に魂を取り戻すきっかけになったのがボカロだ。私は翌年ボカロPとしてデビューした。「私の言葉を知ってほしい」という動機で。他にやり方はあったと思うけど、音楽もボカロも好きなニコ厨あったため、鏡音リンちゃんに、私の代わりに歌ってもらった。
そこから今まで20年。途中で長めに休んだりしつつ、ずっと続けているのが ”言葉を届けるための創作" です。今もこうして、届け届けと思うより楽しいいいと思ってこれを書いています。