私立医学部受験対策化学指導 10,000円〜
受験生の体調管理・生活習慣・栄養相談 3,000円〜
2026年3月時点、下記のスケジュールが対応可...
営業 / 個人営業 経験年数 : 8年
経営・マネジメント / 経営者・CEO・COO 経験年数 : 14年
ライフスタイル・その他 / 講師・インストラクター 経験年数 : 23年
Google スプレッドシート 経験年数 : 4年
Keynote 経験年数 : 8年
freee 経験年数 : 2年
ChatGPT 経験年数 : 3年
Perplexity AI 経験年数 : 3年
大学受験指導 経験年数:23年
ウェルネスコンサルティング(予防医療、健康増進) 経験年数:8年
ビジネスへの生成AI活用(業務効率化) 経験年数:3年
・私立医学部受験対策化学指導 10,000円〜
基礎から最難関の問題まで、小手先のテクニックではなく化学の本質を体系的にまとめる指導が得意です。
・受験生の体調管理・生活習慣・栄養相談 3,000円〜
医学部受験生・浪人生・再受験生向けに、睡眠、食事、生活リズム、学習期のコンディション管理を整理します。医療行為ではなく、日々の過ごし方を見直したい方の相談サービスです。保護者のご相談にも対応します。
T's education 2011年4月 〜 2021年1月
・医学部受験部門 / 統括責任者・化学指導主任講師 / 講師・インストラクター 2011年4月 〜 2021年1月
私は個人事業主として、医学部受験専門の個別指導塾「T's education」を立ち上げ、受験指導・学習戦略設計・保護者サポート・進路コンサルティングまで一貫して行ってきました。 この仕事を始めた原点は、単に「勉強を教えること」ではありません。成績が伸び悩む生徒、やる気を失っている生徒、自信をなくしている生徒、そして不安を抱える保護者の方々と向き合う中で、学力向上の前にまず必要なのは「信頼関係」と「その生徒に合った戦い方」だと痛感してきました。 私は、画一的な指導ではなく、一人ひとりの性格、現状の学力、志望校、家庭環境、学習習慣、精神状態まで踏まえた“個別最適”の伴走型指導を強みとして活動してきました。 特に医学部受験は、一般的な受験指導とは異なり、学力だけでなく、学習戦略、情報戦、継続力、自己管理、メンタルの安定が強く求められる極めて高度な領域です。 私はこの難度の高い分野に特化し、英語・数学・化学・物理・生物などの主要科目の学習計画設計、理解度の確認、弱点分析、過去問演習の進め方、模試成績の読み解き、志望校ごとの出題傾向分析まで、総合的に支援してきました。 中でも、化学指導主任講師としての専門性を活かし、単なる暗記ではなく、原理原則から理解させる化学指導に力を入れてきました。 医学部受験における化学は、知識量だけで突破できる科目ではありません。理論化学・無機化学・有機化学を横断しながら、「なぜそうなるのか」を論理的に理解し、自分の言葉で説明できるレベルまで引き上げる必要があります。私は、複雑な内容を本質から分解し、初学者にもわかる形で再構築する指導を得意としており、多くの生徒に対して“わかる”から“解ける”への橋渡しを行ってきました。 また、受験生指導においては、授業そのもの以上に、学習管理と戦略設計が重要です。 そのため私は、日々の授業だけでなく、以下のような業務を包括的に担ってきました。 ・生徒ごとの年間・月間・週間学習計画の策定 ・志望校と学力のギャップ分析 ・模試や過去問結果の分析と課題抽出 ・学習進捗の管理と軌道修正 ・苦手単元の特定と優先順位づけ ・使用教材の選定 ・科目別の学習法指導 ・面談を通じたモチベーション管理 ・保護者への状況共有と教育相談 ・受験直前期の出願戦略・併願戦略の整理 私は、生徒を「教わる側」として一方的に扱うのではなく、将来ある一人の人間として尊重しながら関わることを大切にしてきました。 実際に、当初は学習意欲が極めて低かった生徒や、学校・予備校の授業についていけず自己否定感を強めていた生徒とも、丁寧に信頼関係を築きながら伴走し、自発的に学ぶ姿勢へと変化させてきた経験があります。成績向上はもちろんですが、「勉強に向き合う姿勢そのものが変わった」「自分に自信を持てるようになった」といった内面的な変化を引き出せることも、私の提供価値の一つだと考えています。 さらに、個人事業主として活動していたため、講師業務だけでなく、事業運営に関わる幅広い実務も担ってきました。 具体的には、サービス設計、価格設計、集客導線の構築、面談対応、顧客対応、継続率向上のためのフォロー設計、紹介導線づくり、保護者とのコミュニケーション設計、各種資料作成、オンライン指導環境の整備などです。 単に授業を行うだけでなく、「どのようにすれば生徒と保護者に安心して選ばれ、信頼され、成果に結びつくか」という観点で、教育サービス全体を設計・改善してきました。 医学部受験という高難度・高期待値の領域では、保護者の方の不安も非常に大きくなります。 そのため私は、生徒本人への指導だけでなく、保護者に対しても、現状分析、今後の見通し、課題、対策、家庭での関わり方などを丁寧に共有し、単なる“塾講師”ではなく“受験伴走者”として信頼関係を築いてきました。教育は、生徒だけを見ていても成果が最大化しないことがあります。家庭との連携も含めて設計することで、初めて本当の意味での個別最適が実現すると考えています。 私の仕事の本質は、知識を教えることだけではありません。 生徒一人ひとりの可能性を見極め、現実を直視しながら、最短でもっとも納得感のある道筋を描き、最後まで伴走することです。 厳しさが必要な場面では曖昧にせず、本当に必要なことを率直に伝える。一方で、心が折れそうなときには、ただ叱咤するのではなく、なぜ今苦しいのかを一緒に整理し、次の一歩を踏み出せるよう支える。そうした“戦略”と“人間理解”の両輪で支援してきました。 個人事業主時代のT's educationで培った経験は、単なる受験指導経験にとどまりません。 高い専門性が求められる領域で、顧客の期待に応え、成果を出し、継続的に信頼を積み重ねてきた実践そのものです。 私は今後も、教育・指導・伴走・戦略設計の力を活かし、相手の現状を正確に捉えたうえで、本質的な価値提供ができる仕事をしていきたいと考えています。
東京大学大学院 農学生命科学研究科 / 2006年4月 〜 2010年3月
東京大学大学院農学生命科学研究科では、生命現象を表面的に眺めるのではなく、「なぜその仕組みが成り立つのか」を根本から理解したいという思いから、応用生命化学専攻に進学しました。最高学府ならではの高度な学術環境の中で、専門知だけでなく、幅広い教養、柔軟な思考、多様な価値観に触れる機会に恵まれ、国際的な視野と高い視座を養うことができました。多様な背景を持つ優秀な人材との交流や文化的刺激は、その後の教育事業や複数事業の立ち上げ、そして彌榮(私の事業領域を統合したビジネス集団)のような越境的なチームづくりへとつながる重要な原体験の一つになっています。 大学院では、土壌微生物を対象とした研究に従事し、研究テーマは「難分解性有機塩素系農薬の分解微生物が保有する分解酵素遺伝子群の配列解析」でした。環境中で分解されにくい化学物質に対して、微生物がどのような遺伝子群を持ち、どのような酵素システムによってそれを分解するのかを明らかにしようとする研究です。生命現象を分子レベル・遺伝子レベルで捉えるだけでなく、当時まだ黎明期であったバイオインフォマティクスの手法も活用し、生物を一種の情報システムとして捉えながら解析していました。この経験により、複雑な現象を構造化し、本質的なルールを見抜く視点が磨かれました。 また、修士課程では研究だけでなく、研究室の後輩学部生に対して実験実技の指導も行いました。生命科学の実験は、教科書どおりに手順をなぞるだけでは再現できない場面が多く、わずかな手の動きや力加減、タイミングの違いが結果を左右します。私はそうした“職人技”が要求されるデリケートな手法について、単にやり方を教えるのではなく、なぜその操作が必要なのか、どこで失敗しやすいのか、どうすれば再現性を高められるのかまで含めて伝えていました。この経験を通じて、「高度な内容ほど、相手に合わせて本質からわかりやすく伝える力が必要である」という、後の教育者としての土台が培われました。 一方で、研究者として生命現象の解明に取り組む傍ら、フリーランスの家庭教師としても活動を継続していました。研究生活は知的好奇心を大いに刺激する充実したものでしたが、実際に人と向き合い、その成長に深く関われる教育の仕事に、より強い創造的魅力と自分自身の価値観との一致を感じるようになりました。知を探究する喜びと同時に、「人間の可能性そのものに働きかけること」にこそ、自分の使命があると確信するようになったのです。 その結果、私は大学院での研究を通じて得た論理性・構造化思考・生命科学的視点を土台としながら、あえて安定した研究者の道ではなく、人の成長の無限の可能性に全力で関わる道を選び、大学院中退を決意しました。この時期に培った、複雑な対象を深く理解し、本質を見抜き、それを他者に伝え、再現可能な形にする力は、その後のT's education設立、株式会社での複数事業の展開、そして教育・ウェルネス・キャリア形成を統合する彌榮の結成へと一貫してつながっています。
明治大学 農学部生命科学科 / 学士 / 2002年4月 〜 2006年3月
明治大学農学部生命科学科に進学した理由は、生命という現象を、単なる暗記科目としてではなく、「これからの時代を根本から変える知」として学びたかったからです。私が入学した2001年は、21世紀が始まった年でした。バイオテクノロジーが商業レベルで現実味を帯び始め、同時にインターネットの爆発的な拡大によって高度情報化社会の到来が強く意識されていた時代です。生命科学と情報化が社会を大きく変えていく空気を肌で感じる中で、この新しい時代の中核にある学問を本気で学びたいと考えました。また、私が在籍した生命科学科は新設学部の3期生であり、入学当時はまだ卒業生もいない、本当に新しい領域でした。完成されたレールの上を進むのではなく、これから形づくられていく最先端の学問環境に身を置けること自体に大きな魅力を感じていました。 実際に入学してみると、期待をはるかに上回るものでした。明治大学は、生命科学という当時最先端の領域の立ち上げに見合うように、国際的に活躍する現役研究者やベンチャー経営者を教授・講師陣として揃えており、しかも多くが20代後半から40代という非常に若く、情熱と実践感覚にあふれた教員陣でした。これは当時としてもかなり異例であり、私にとっては人生の中でも特に質の高い指導を受けた時期だったと感じています。受験勉強までの「相手より良い点を取り、合格を勝ち取るための勉強」から解放され、大学では初めて、純粋な知的好奇心と真理の追求のための学問に没頭しました。授業を受けて終わりではなく、毎日のように授業後は図書館に残り、関連分野まで自分で掘り下げて学ぶことが習慣になっていました。学ぶことそのものが喜びに変わった時期です。 学部では、微生物が産生するタンパク質の構造と機能の相関に関する研究に取り組みました。生命現象を分子レベルで理解し、細胞単位での代謝メカニズムを学ぶ中で、目に見えない複雑なシステムも、要素・構造・流れの関係性から捉えれば本質が見えてくることを実感しました。この視点は、後年になって会社組織の運営や事業設計にもそのまま応用されています。細胞内で起きる代謝や情報伝達のように、組織にも資源の流れ、情報の流れ、役割分担、調整機構があり、それらが噛み合って初めて健全に機能する。生命科学を通じて得た構造的な思考は、現在の経営やマネジメントの土台にもなっています。 さらに、研究室では東京大学名誉教授を退官された先生から直接指導を受ける機会にも恵まれました。熟練した研究技術を間近で学ぶことができただけでなく、「君は優秀だから大学院は東京大学に行きなさい。学問でより高みを目指してみては」と背中を押していただいたことは、その後の進路を考える上で非常に大きな転機となりました。知の世界で上を目指すこと、自分の可能性を狭めず挑戦することの大切さを、言葉だけでなく姿勢そのもので教えていただいたと感じています。 一方で、この大学時代は、私にとって教育者としての原点が生まれた時期でもありました。家庭教師を始めたのはこの頃で、どこかの組織に所属するのではなく、自分一人で独立してスタートしました。教材も既製品をそのまま使うのではなく、生徒に合わせてオリジナルで作成していました。そして20歳のとき、最初に担当したのが、成績が学年最下位の中学2年生の生徒さんでした。最初の1か月はやる気がないどころか、目も合わせてくれない状態でしたが、私はまず“先生らしさ”を押しつけるのをやめ、授業に関係のない雑談を通して、趣味や学校生活、人間関係のことを丁寧に傾聴するところから始めました。また、ただ点数を上げるためだけではなく、「学問の本質に触れる喜び」を感じてもらえるよう、オリジナル教材を用い、学校の範囲を超えて、学んでいることが実社会でどう活きるのか、大学で触れている研究内容なども交えて伝えました。その結果、少しずつ信頼関係が生まれ、兄のような存在として受け入れてもらえるようになり、彼は翌年には学年3位まで成績を伸ばしました。 この体験は、私の人生観を決定づけました。「人は必ず変化する、進化できる」「伸びない子はいない」。問題があるとすれば、生徒本人ではなく、環境設計や指導する側の理解と力量にある。この確信は、この大学時代に生まれ、その後20年以上にわたる教育活動の根幹になっています。生命科学の探究によって“生命の仕組み”を学ぶ一方で、家庭教師の現場では“人の成長の仕組み”を体感し、この二つが交差したからこそ、後の大学院進学、T's educationの設立、さらに教育・事業・組織づくりへとつながる原点が、この明治大学時代に形づくられたのだと考えています。
私立桐蔭学園高等学校 1998年4月 〜 2001年3月
桐蔭学園高等学校で過ごした時間は、私にとって「競争とは何か」「努力とは何か」「真の成長とは何か」を身体で学んだ原点の一つです。私はもともと、学問だけでなく、人としての器や精神力まで鍛えられる環境に身を置きたいという思いがありました。桐蔭学園は、まさにその期待に応える学校でした。単なる進学校ではなく、「真のエリートを育成する」という思想のもと、学力だけでなく、文武両道、文化教養、そして社会に対する責任感まで求める独特の校風を持っていました。ノブレスオブリージュの精神が流れ、学校には専用の公演ホールもあり、一流の芸術や文化に触れられる環境が整っていました。知性だけでなく、感性や品格まで含めて育てようとする空気が確かにありました。 一方で、桐蔭学園は非常にシビアな実力主義の世界でもありました。すべての授業が能力別に、上からα1、α2、α3、β1、β2、β3、β4、γ1、γ2と細かくクラス分けされており、特にα1には東大・京大や国公立医学部に進学する生徒が多く集まる、完全な学力社会でした。「良い意味での不平等」が徹底されており、下位クラスでは校則違反に対する処分も厳しい一方、上位クラスには情状酌量の余地があったり、先生方からも「文句があるなら勉強して上のクラスに行け」と率直に言われるような環境でした。今の時代なら少し角が立つかもしれませんが、当時の私はこの環境から、競争社会の現実を曖昧にせず受け止める姿勢、そしてその中で生き抜く精神的な強さを学びました。結果を出す者により大きな自由と裁量が与えられるという現実は、後の社会や経営の世界にも通じるものがありました。 また、同級生たちも非常に個性豊かで、刺激に満ちていました。医師や経営者として国際的に活躍している人、ベンチャーを立ち上げた人、プロスポーツ選手や芸能の世界に進んだ人など、多方面で突出した人材が多く、今でも交流が続いています。そうした仲間たちと共に過ごしたことで、自分の視野は大きく広がりました。優秀な人間とは単にテストの点が高い人ではなく、強い意志を持ち、自分の道を切り拓いていく人だということを、日々の学校生活の中で自然と学んでいったように思います。 ただし、私自身の高校時代は、決して順風満帆ではありませんでした。むしろ、バンカラで濃密な思い出にあふれる一方で、学力が思うように伸びず、苦しさを抱えていた時期でもあります。当時の私は、今振り返れば、学習計画や戦略という発想が乏しく、「とにかく根性でやる」「量をこなせば何とかなる」という感覚で勉強していました。しかし、現実はそう甘くありませんでした。無計画に努力を重ねても、方向性が間違っていれば成果は出ない。むしろ、間違った方向に全力で走るほど、消耗だけが大きくなる。その厳しさを身をもって味わいました。結果として、現役時代に受験した大学はすべて不合格となり、浪人することになりました。 しかし、この挫折こそが、その後の私にとって非常に大きな教訓になりました。努力そのものを美化するのではなく、「正しい方向に努力できているか」を問い直す姿勢は、この高校時代の失敗から生まれています。後年、教育の現場で生徒たちに向き合う中でも、私はこの経験を何度も思い出してきました。伸びない原因は、本人の根性不足だけではなく、戦略設計、学習方法、環境設定にあることが多い。だからこそ、指導する側には“頑張れ”ではなく、“どう頑張れば成果につながるのか”を示す責任がある。その教育観の原型は、この時期に形づくられたのだと思います。 そして浪人時代、私は代々木ゼミナールに通い、いわゆるカリスマ講師陣の指導を受けることで成績をV字回復させました。この体験によって、「人は、適切な指導と正しい方法に出会えば、ここまで変われるのか」と強く実感しました。同時に、大学に進学したら自分も家庭教師や塾講師のアルバイトをやってみたい、教える仕事に関わってみたいという思いが芽生え始めました。つまり桐蔭学園高等学校時代は、競争社会の厳しさ、努力の落とし穴、そして正しい指導が人を変える力を、痛みを伴って学んだ時期でした。この経験が、後の教育者としての私の土台をつくったことは間違いありません。