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自分以外の「何か」になろうとすること

今回は自分以外の「何か」になろうとすることについて投稿しようと思います。今の自分から抜け出しもっとすごい自分になりたい!と思う事は人間なら誰しも思う事があるでしょう。もっと輝いている自分。もっと仕事をバリバリとやっている自分。もっと人から尊敬され頼られる自分。人それぞれ色々な願望があるかと思います。向上心をもって上昇していくことは素晴らしいことです。ですが、自分でない何かになろうとすることには注意が必要です。つまり自分以上の何かになろうとしていませんか?という事です。人にはそれぞれ個性や能力の違いがあります。例えば私が今から大谷選手みたいにメジャーで活躍するわ!とか言っても妄言以外の何物でもありません。その人にはその人なりの「器の大きさ」が存在します。人はその器以上の事は出来ないようになっています。では器の小さい人はダメかと言ったらそれは違います。人と比べず自分の器を認めて自分らしく生きる。これでいいのです。現実的に自分に出来る事と出来ない事を把握し、自分の能力を理解できたなら後はそれに合わせて行動する。背伸びもせず自然体で行動できると思ったら、プレッシャーや不安も軽く感じられませんか?この投稿が何かの気づきになったなら幸いです。
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ドラマティックは空想で【言の葉Cafe深夜営業】

金曜日の深夜、 ふらいでぃみっどないと まだワクワクできる自分がいます。 もちろん仕事で完徹とか嫌な「みっどないと」も多くありましたが、 それでも週末の深夜というのは特別感があるような気がしています。 僕は繁華街が苦手で、若いころはバーテンダーやホストをやっていた時代もありましたが、やはりアウェイ感は当時からありました。 そうした経験から、今では無理をせずにアトリエで執筆したり、映像や写真の編集をしたりと仕事しています。 仕事の憂さは仕事で晴らすタイプで、気分転換に別の仕事をすることも良くあります。 (マルチタスクとは別のもの) 住宅街の深夜の静けさは、とても居心地が良いです。 こうした静けさは、筆の進みを滑らかにしてくれます(パソコンですが) つい、忘れようとしたことまで書いてしまう事があります。 何か本を読んでいて「これは私の話だ」と親近感だったり共感だったり感じることがあります。それは筆者にとってもそうなのかもしれません。 フィクションを書いているつもりでも、つい自分の心情の、思っている以上に深い部分に触れてしまう事があります。 誰かの心の中に在る物語でも、その中にやはり自分の心情とかが入ってくることがあります。それが融合しないで作品に良い効果を生まないときも少なくありません。 ただ、ときに思ってもいない相性の良さを見せることがあります。【物語】というものは、実は誰もが持っています。 僕はもういい年齢になって過去に多くの【大冒険物語】があったので、これからはそろそろ退屈な駄作でいいと思っていますが(笑) 人によっては今が退屈を感じていたり、日常からすこし離れたいと思ってい
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