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「死ね」って本当に日常的に使われる言葉なのか?

元新潟県知事で衆議院議員の米山隆一氏の発言が物議をかもしています。経緯を説明しましょう。評論家の八幡和郎氏が、以下の記事を「アゴラ」に寄稿しました。「安倍狙撃事件の犯人は反アベ無罪を煽った空気だ。狙撃事件の犯人がいかなる人物かはあまり重要でない。安倍晋三氏については、特定のマスコミや有識者といわれる人々が、テロ教唆と言われても仕方ないような言動、報道を繰り返し、暗殺されても仕方ないという空気をつくりだしたことが事件を引き起こした」これに続き、フジテレビ上席解説委員の平井文夫氏も、「『闘う政治家』だった安倍氏に対しては攻撃もまた激しかったが、中には『許さない』とか「『死ね』とか明らかに常軌を逸したものもあった。そしてそうした言動に対して私たちは『ダメだ』とはっきり言ってこなかったのではないか。私たちが苦しんでいるのは、日本という国が、この社会の空気が、安倍さんを殺してしまったのではないかということなのだ」との文章を発表。そして、これらの意見に米山隆一衆院議員が真向から反対したわけです。「暴力は、暴力をふるった人が100%、悪いんです。『〇〇の言論が影響を与えた』などという論理を許せば、言論の自由は失われます。言論は言論、暴力は暴力。影響があろうがなかろうが、暴力をふるっていない言論に、帰責してはいけないんです。八幡氏や平井氏の論説は、論理的ではないし、安倍元首相の事件だけを特別扱いして、事件を利用しているとしか思えません。『安倍死ね』で容疑者が殺害を決意したわけではなく、因果関係はゼロですよ。『もしかしたら影響を与えているかもしれない』なんてことを言い出したら、批判がまったくでき
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