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沖縄地味パワースポット~那覇辻町波上宮/三文珠公園(20231030増補版)

 近年のパワースポットブームで沖縄の聖地は粗方紹介されつくしているように思われたが、匿名情報(誰から??)があり、今回特派員(だから誰だよ!!)は急遽、羽田から那覇へと旅立った‼ビューン✈ 今回の目的地は那覇辻町の波の上地域にある。波上宮と小高い丘がある三文珠公園。 古地図をみるとすぐ目の前が海になっており、いわば岬の丘、断崖絶壁の丘という感じで、現在の街並みからは想像できませんね。  琉球王朝時代の賢人三人、程順則(名護親方寵文)、蔡温(具志頭親方文若)、山田親雲上がこの公園の丘でこれからの琉球のあり方について議論した丘とされています。  賢者はこの辻町を性地に指定したのか、琉球王朝の時代からの遊郭街で、沖縄戦の空襲で焼き尽くされた戦後も、私娼街として再建されていきます。現在でも風俗街として脈々とそのDNAは継承されています。  すぐ隣には波上宮が建立されています。その由来は以下の通り 【波上宮(なみのうえぐう)由緒】 当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。  その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。波上宮の御鎮座伝説に『往昔、南風原に崎山の里主なる者があって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な"ものを言う石"を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。  このことを知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて波上山《現在
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沖縄地味パワースポット~那覇辻町波上宮/三文珠公園

 近年のパワースポットブームで沖縄の聖地は粗方紹介されつくしているように思われたが、匿名情報(誰から??)があり、今回特派員(だから誰だよ!!)は急遽、羽田から那覇へと旅立った‼ビューン✈ 今回の目的地は那覇辻町の波の上地域にある。波上宮と小高い丘がある三文珠公園。  古地図をみるとすぐ目の前が海になっており、いわば岬の丘、断崖絶壁の丘という感じで、現在の街並みからは想像できませんね。  琉球王朝時代の賢人三人、程順則(名護親方寵文)、蔡温(具志頭親方文若)、山田親雲上がこの公園の丘でこれからの琉球のあり方について議論した丘とされています。   賢者はこの辻町を性地に指定したのか、琉球王朝の時代からの遊郭街で、沖縄戦の空襲で焼き尽くされた戦後も、私娼街として再建されていきます。現在でも風俗街として脈々とそのDNAは継承されています。   すぐ隣には波上宮が建立されています。その由来は以下の通り【波上宮(なみのうえぐう)由緒】当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。  その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。波上宮の御鎮座伝説に『往昔、南風原に崎山の里主なる者があって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な"ものを言う石"を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。  このことを知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて波上山《現
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​ 自分 ​ 沖縄祈りの旅 ④ 波上宮 、沖宮、末吉宮、普天間宮

沖縄祈りの旅 ④ 波上宮 、沖宮、末吉宮、普天間宮 琉球八社巡りというのがあります。 その中の 波上宮(なみのうえぐう) 沖宮(おきのぐう) 末吉宮(すえよしぐう) 普天間宮(ふてんまぐう)に行ってきました。 どちらも那覇市内です。 波上宮は崖の上にあり、下は海水浴場です。 沖宮は小さな山の上です。 末吉宮は森の中です。 ちょっと迷いそうです。 地元の人に地図を見せながら尋ねたら英語で返ってきてびっくり! でもちゃんと教えてくれました。 普天間宮は奥宮が鍾乳洞になっています。 (普天間宮洞穴) 中に案内してもらえますが写真は撮れません。 訪れた際はぜひ中に入ってみてくださいね。
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