絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

2 件中 1 - 2 件表示
カバー画像

其の一                      

1.憲法って何でしょう憲法とは国で一番大事な法律です。現在の日本には「日本国憲法」があります。 戦前には「大日本帝国憲法」が存在していました。 戦後、大日本帝国憲法(以下、旧憲法)は失効し、 新たに出来たのが 日本国憲法(以下、新憲法)です。 戦争に負けた日本が平和国家として 歩んでいくにあたり、 憲法も作り直すことになったのです。 2.戦後日本のはじまり この作り直しにあたって大きな影響力を 持ったのがGHQです。 1945年8月15日 日本は連合国に降伏し 4年近くに渡った 太平洋戦争が終結します。 それから程なくしてアメリカを中心とする 進駐軍が日本にやってきます。 進駐軍は連合国の軍隊でアメリカの他に イギリスやオーストラリア、 ソ連なども含まれていますが、実際には アメリカだけで日本の占領統治が 行われました。 この占領は1951年に日本が独立を 回復するまで約6年続きます。 勘違いしがちですが、この占領中でも 日本政府は機能してまして 内閣も首相も存在していました。 そして日本政府に対してあらゆる指示を 発していたのがGHQなのです。 そのGHQのトップがダグラス=マッカーサー元帥です。 GHQは政策内容はもちろんのこと、 新聞や書籍の検閲など実に様々な 事項まで事細かにチェックして 厳しく目を光らせていました。 一方でそれまで残っていた日本独特の不自由な ルールを一掃し、民主主義を根付かせる役割も 果たしました。ただ、GHQの本当の目的は別のところにありました。これこそが現代日本にも根深い問題を残すことになるのです。~其の二へ続きます~
0
カバー画像

#95 戦後の日本を救ったスリランカ大統領

スリランカと日本。九州の1.5倍の大きさにして世界遺産が8つ、国土面積では世界2位である。美しい海に仏教遺跡。知る人ぞ知る観光のメッカが長い眠りから再び目を覚ました。スリランカが常に登場する「ネタ」が一つある。日本とスリランカ両国の間にはある強い繋がりがあるということだ。両国の絆を作った人物は、スリランカ初代大統領になったJ.R.ジャヤワルダナ氏である。第二次世界大戦後、彼は、1951年サンフランシスコ講和会議で日本の真の自由と独立の支持を訴える名演説を打った。内容は、各国が日本に戦後の保障問題を考えていた時にスリランカは将来の日本の為にスリーランカは放棄すると言う名演説。当時はまだ44歳の若き政治家だった。ニュースウィーク誌はジャヤワルダナ氏のことを「会場の「花形」だった」と伝え、タイム誌は「最も有能なアジアの代弁者」と絶賛した。ジャヤワルダナ氏は、その後も幾度と日本を訪れており、皇太子ご夫妻(今の天皇皇后両陛下)をはじめ多くの日本人をスリランカに招くなど、精力的に交流を行った。自他共に認める日本を愛してやまない人であった。死んだ後もその気持ちは変わることなく、片目の角膜をぜひ日本人に提供してほしいと頼んだ。おそらく、日本のメディアにおいて、この国を紹介することはほぼ皆無に近かった。長いブランクを拭い去り、日本人にスリランカに対して瞬間的に親近感を抱いてもらうために、これほど強力な「ネタ」はない。日本が行った戦争は正しかったのだと、サンフランシスコ講和会議であのようなスピーチを言わしめた日本がすごい」とはならないだろうか。そうすることで微かにでも暴力を肯定するような思い上がり
0
2 件中 1 - 2