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運が尽きるとき 3

 運が尽きるとき というマイナーイメージなタイトルで書いているが、これはレプテリアンだろうが、鬼滅の鬼だろうが共通の運命の法則だから、人間でなければという限定法則ではない。 だから、鬼を食う羅刹、羅刹を食う魔神、その先はどうなるかというと、理趣経では魔神とて、仏道の悟りを得れば仏となるとしている。これがオーム真理教の大きな脱線になったりしたが、過去これらの思想は暴力革命に寄与してきたのではないかと思われる。白蓮教徒の乱、義和団事件など仏門が暴力革命を目指した歴史があるし、石山本願寺の反抗や叡山の僧兵などもこの思想がバックにあったろう。そしてこの経は危険といわれつつも葬られることなく存在している。どうも暴力と戦争というだけでは運は尽きないようだ。このような側面はキリスト教にもイスラム教にもあるのは引き出せばいくらでも例は上げられる。 ここで言いたいことは、プリゴジンとゼレンスキーは人殺しを続けているあいだは運がつながっているということだ。プリゴジンは活動の場を白ロシアに移したようだが、戦争を続けるのはわかっている。 スナイプスの映画で悪役と対峙した時、スナイプスが「いつも黒にかけろ」と捨て台詞を悪役に投げるが、悪い奴はいつも悪い方を選択する。これが運をつないでいくことだ。 だが我々はそう悪いことして生活していけないから、いい方をつないでいかないといけない。そのよい運の連鎖を切ってしまうことが運が尽きるときということだ。
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フロイト ユング アドラー そして理趣経

アドラーを読む人は男性とかビジネスマンでユングは女性、母子、一部の占い師といった印象を持つ。流石に今の時代にフロイトは古臭いかもしれないが、非理性領域を「構造化」したパイオニアであることは間違いない。日本社会は「母性的」で理屈や権利というよりも「甘え上手」が世渡り上手な印象を受けている。政治家も選挙の時、最後には「お願いします」を連呼している。政策を理解してください、ではない。「どうかお願いします」と常に訴えかけ、頼んでいるわけです。売れる営業さんもプレゼン上手だとか誠実だとかよりも、お客さんに可愛がられ好かれてる人の方が多い。アドラーとかで理論武装するのもいいけど、なんかそういう人は煙たがられやすい感じがする。むしろ、チョットちゃらい感じで親しみやすい人の方がお客さんウケが良かったりする。なんかなぁ。真面目にやってる人が自分のことがバカらしくなったと俯いているのを見ると気が重くなる。頼めばいいんだよ甘えればいいんだよ言うのは簡単。それで仕事が回るのは昭和の世代が身を引くまでであってほしい。iPhoneが28世代になっている頃には全く違う心理学が浸透していてほしい。仏教なら、誰も般若心経とか言わなくなって、「やっぱ理趣経だよね」とかan anで特集組まれる時代だといいな
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