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特攻隊 3

戦後しばらくして彼女は結婚をし横浜に住んで幸せな日々を過ごしました。やがて平成になって夫が他界その一周忌を過ぎて初めて彼女は知覧の特攻平和記念館を訪れそこでありし日の初恋の人と対面することになります。彼女はあの当時勝郎さんがどのように日々を過ごしていたのかをどうしても彼のご家族に知らせたい一心でその館の職員に彼の生家の住所を尋ねました。しかしそれは当然断られます。彼女はどうしても諦めきれません。彼女のひたむきな願いにとうとうその職員も心を動かされ彼の生家に連絡を入れて了解を取り付け連絡先を教えました。まもなく彼女から美しい文字でしたためられた手紙が届きついに彼女は念願であった勝郎さんの墓参に訪れることになったのです。
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認知行動療法

認知行動療法(にんちこうどうりょうほう)という、言葉をご存知でしょうか?これは、心理療法の一つで、無意識に思い込まれている意識考え方感じ方を、振り返り、意識考え方感じ方を、『修正』する療法ですこれは、多くうつ病患者さんに利用されるのですが、うつ病でなくても・・・日常を通してどうして、こういった現実パターンが繰り返されるのだろうか?という場面を振り返ってみても面白いかもしれません(^^♪これは、私の気づきの一つなのですが『幸せ』に『なる』のが大変だったころ『幸せ』=一生懸命頑張った先に得られるモノと、認知していましたそもそも『幸せ』って『なる』ものではないんですよね(笑)『幸せ』って『感じるもの』『日常に溢れているもの』などなどほかの考えもあるかと思いますが、このように考え方を変えてみましたまた、『日常』に対しても一生懸命、大変、苦しいもの、苦労するもの楽してはいけないなんて、認知していました(笑)楽してはいけない←戦時中ですか(;_;)?(笑)って、言いたいですよね(;_;)ただ、どうしても、日本は戦争を行い、敗戦国になり、戦時中、戦後を生きてきた世代からの影響も大きいと思っていますそのまた上の世代も苦しんできたんですね『日常』は心地よく安心して、豊かさと喜びに溢れている幸せでいっぱいと、これも、ほかの考えもあるかと思いますが、このように考え方を変えてみましたこれは、『わたし』にとって心地よいものに変えたらよいので、上記は一例です意識、無意識って、見えないものだからこそ見つめ直してみませんか?https://coconala.com/users/3258678↑elico.と話
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#79 花粉症の原因

花粉症はなぜこんなに多いのか?第二次世界大戦で日本は敗戦国になった。日本はアメリカ軍にことごとく焼け野が原になった、アメリカ軍に焼かれたのは平野はもちろん山までも・・・戦後の日本は焼け野が原に家を建てるのに材木が必要になり、1950(昭和25)年に制定された「造林臨時措置法」を契機に、一気に植林が進められた。長期間借りられる融資制度などもできて、山林経営者は政府に後押しされる形でスギやヒノキの植林事業に精を出した。針葉樹ばかりの日本の山は1980年ごろにはスギやヒノキの山になり花粉が飛ぶようになり、このころから花粉症の人が出てきた。針葉樹ばかりになって広葉樹の植林が進まなかったのは、昭和30年代から40年代に急速に普及していく石炭や石油などの化石燃料の普及と深い関係がある。広葉樹は山を豊かにする貴重な資源なのだが、安価な石炭や石油が入ってきて植林しても採算が合わなかったのかもしれない。この二つの原因でスギやヒノキの植林事業が進んだ結果が現在の花粉症の人が多くなった原因だと聞いています、花粉症が進んだのは仙台辺りからと聞いています。花粉が飛び出すのは、1月1日~最高気温を日々プラスして500度を超えると花粉が飛ぶと言われている。#恋愛 #復縁 #婚活 #結婚 #占い #言霊 #潜在意識 #Loop理論 #ズバリ導与 #リモートビューイング #統計学 #ツイキャスわくちゃん #占い師わくちゃん #いろはにポテト
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【教養としての読書】夏目漱石「こころ」

大企業産業医、かつ内科専門医のココナラドクターです。戦後(昭和31年)から現代に至るまで高校の教科書に掲載されていますが、皆さん内容を覚えていらっしゃいますか?孤独や生きづらさといった心情が描かれ、今の日本人も共感できる内容になっています。「こころ」は文庫本発行部数1位!!夏目漱石が47歳のときの作品。東京朝日新聞新聞に連載後、出版された。(文庫本発行部数第2位は太宰治の人間失格)
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