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お金で平和を買うってあり?

古代中国の王朝の中に、最も弱いと言われたのは宋王朝(960~1279)です。北宋も南宋も北遊牧民族に滅びられましたし、宋の対外戦争もほとんど負けていました。しかし、中国の王朝の長さは漢(前漢と後漢)404年、宋(北宋と南宋)320年、唐289年、明276年、清268年、実は後漢の最後100年近くはすでに「三国時代」(三国志で登場する有名なエピソード殆ど後漢の時代)となり、皇帝はほとんど有名無実、この点において実は最も長い政権は宋王朝です。宋が負けに負けて敵が「遼」から「金」に、「金」から「モンゴル」と入れ替え、300年以上政権が続きました。これって弱いことでしょうか?常勝不敗のナポレオンはワーテルローの戦いで失敗しただけで全てを失いました。つまり、負け続けて尚生きていられること自体が非常に珍しいケースです。実は宋の武力は弱くない、ただし環境がすごく悪いです。漢、唐のライバルは匈奴、突厥など部族国家もしくは遊牧部落に過ぎなかった、ちゃんとした国家政権ではありません。宋のライバルである遼、西夏、金、元(モンゴル)は全て宋と同じ、高度な中央集権化された国家です。官僚制度、城、科挙、農耕全てあります。昔の遊牧民族なら一つの風災、雪災だけでも滅びる恐れがありましたが、宋のライバル達は言わば進化した遊牧民でした。この点において、漢、唐の時代の敵と比べられないぐらい強くなりました。また宋より少し前に北京含む「幽雲十六州」の土地を遊牧民族にプレゼントしたため、宋の時北側の長城がなく(敵はすでに長城の中に生活している)、守れる要所が全くありません。宋王朝の領土は古代中国において最も少なく、北宋は
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古代中国の尚武精神の消滅

少なくとも唐の時代にはいわゆる侍的な存在がいました、例えば最も有名な詩人「李白」も子供の時から十年以上剣術を学んでいました、辺塞詩人と呼ばれる人達も紛争地帯で自分の身を守る術が身につけていると思われます。古代中国の文尊武卑は唐の後の宋の時代になってからです。これは宋の建国者である【趙匡胤】が武人でありながらクーデターを行い、宋王朝を造ったからです。皇帝となった【趙匡胤】本人最も恐れているのは武将によるクーデターですので、それを防ぐためにあえて武将の地位を下げ、文臣の地位を上げました。【趙匡胤】は皇帝となってすぐ「杯酒釈兵権」を行いました。天下統一を手伝ってくれた昔の将軍達を宮廷に招き、宴会を開きました。昔の部下達に本心を伝い、皇帝となった今すごく不安であり、特に君達武将が自分のように謀反するではないかと人生は短い、最も重要なのは楽しくこと、今までの半生、皆命賭けで戦ってくれた、今天下安泰、貴方達と子孫の安否を考え、兵権を差出して、高い地位と富をあげる、互い疑わずに余生を過ごすのは良くないか?とこれを聞いた部下達翌日みんな辞表を出し引退しました。つまり盃で兵権を返上してもらいました。これは別の王朝ならみんな殺されてしまったでしょう。いわゆる「飛鳥尽きて良弓蔵められ、狡兎死して走狗烹らる」。【趙匡胤】が作った宋王朝が中国古代王朝において最も「士」に優しい王朝であり、【趙匡胤】は元々官僚貴族出身で、教養がよかったとも言われています。これで唐王朝以降の乱世が終結させ、武将によるクーデターがなくなりました。宋以降の明、清もこの文尊武卑の制度を援用して、自然と尚武精神も消えてしまいました。
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