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嫌なことや苦手なことはしなくていい

私は給食に悪い思い出しかありません。 子どもの頃の私は好き嫌いが結構あって(今も変色気味ですが)給食が嫌で仕方がなかったのです。当時は圧倒的に「残すことは悪いこと」や好き嫌いをしてはいけない」といった考え方がまかり通っていて、ほとんどの教師はすべて食べ終わるまで生徒を残していたのです。 私はこの悪しき風潮のおかげで小学校5年生のときに不登校になりました(当時は登校拒否と言っていました)。 おかげさまで、私は学校や先生に対しての「幻想」や「思い込み」から脱することができました。今にして思えばとてもいい経験ができたなと。 昨今の、特に新型コロナ騒動以降においてはある程度は個人の好き嫌いを表に出してもいい、という考え方が広がってきているように感じています。私からしてみればまだまだだと感じていますが、でも、歪な根性論が減ってきたというのは喜ばしいことです。 私が勤め人をしていた頃は、「石の上にも三年」という価値観がまかり通っていました。 好きでもない、つまらないと感じるような仕事でも我慢して無理してでも楽しみや面白さをみつけよ、と先輩や上司から何度も言われました。 好きなことだから、努力もし頑張れる。 好きなことなら、傍から見てしんどそうで大変そうでも、本人にとってはそうではなくて楽しく感じていたりします。 好きなことなら、我慢ができるし、本人は我慢とすら感じないことも多いものです。 最近のスポーツ界を見渡しても、結果を出し続けているチームや個人はその競技を心から楽しんでいて、練習も合理的でかつ楽しさを採り入れています。昭和の体育会的なシゴキや根性論は影を潜めていて、今どきそのような体
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あきらめよう。

 みなさんこんばんは。明後日の人間ドックに向けて筋トレ中の千冬です。 今日も少し難しい話になります。「あきらめる」ということです。これは賛否両論があるので、あくまで私の意見です。 私は15年前、うつになり仕事を休みました。仕事を夜遅くまですることが「美学」というブラックな労働環境でしたので、早くても21時までは仕事をしていました。長男が3歳、次男が1歳で、家に帰れば寝ている姿しか見れませんでした。 土日も仕事でしたし、一週間に良くて半日休めるかどうかの毎日でした。 私は「美学」を信じていましたから、疲れたり眠たかったりするのは当然であると思い込んでいました。  その後、3年間私は同じ毎日を過ごしました。食事、たばこ、寝る、食事…の繰り返しでした。 そう、「あきらめた」のです。仕事の達成感や出世、他人の評価もどうでもいい。ただフラフラ毎日過ごしても、給料は変わりませんでした。 出世の代償に仕事のストレスが増えていく後輩の姿や、いまだに「美学」を信じて働く上司や同期にも「ご苦労様。ほどほどにね」としか感じなくなりました。 よく有名人やスポーツ界で「あきらめなかったから、達成できた」や「努力した。他の人の2倍した」といった根性論を聞きます。 「努力」は簡単に裏切ります。”努力したから成功した”であれば、私も成功していたはずです。「努力=成功」は全く違います。 イチローがフィギアスケートで努力をしたら成功したでしょうか?大阪なおみが卓球で優勝できたでしょうか?卓球の水谷隼選手が水泳で成功できたでしょうか?マツコ・デラックスが相撲をして横綱になれたでしょうか? 正しい「選択」をして、正し
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根性論

日本の高校野球の監督、コーチは「走って走って走りまくれ」「振って振って振りまくれ」「取って取って取りまくれ」が口文句である。全員ではないが。  確かに量は必要である。しかし、これらのことはあまりに単純で浅はかである。ただ単純にこれらのことを実行したら、怪我で潰れてしまう。また、何も考えずに実行したら、間違ったフォームの癖がつくかもしれない。  効率的で無駄のない身体の動きで、これらのことを実行するなら良いだろう。ただ、効率的で無駄のない身体の動きができる(自分のフォームの形がある)なら、そんなに量をこなす必要はないが。  千本ノックは効果があるかどうかが話題になるが、千本ノックの話をする前に、どうやって取れば効率的な捕り方かの議論、話題にすることが大事である。  打ち方、投げ方、捕り方、走り方などの、効率的、効果的な動かし方、動き方を追究することが一番大事である。これらを習得、自分の形にするために、量が必要である。  がむしゃらに、単純に量だけをこなすのは辞めよう。無駄な時間である。
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営業で勝とうとするな

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