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大人の事情と自己分析

小学3年生に上がり、クラス替えがあった。いじめっ子グループは、それぞれクラスが別れ私は新しい友達も増え、それなりに楽しい学校生活を送っていた。季節の変わり目は、相変わらずひどい発作が起こり入院で1か月ほど休むそれでも、勉強についていけない事はなかった。担任は頭ガチガチの男の先生。終わりの会の時、私の発言時間になり1日あったことを話した。当時の私は、自分の事を「私」とは呼べず、自分の名前で呼んでいた。「今日のツキホの出来事は・・・」そう言いかけると担任がすかさず言った「君はいくつだね?いい加減、自分の名前で呼ぶのは辞めなさい。私と言いなさい。」心がざわついた。どうしても「私」と言えない。「僕は・・・」そう言った途端、担任はおもむろに言った。「お前は女だろ!!僕じゃない!!私だ!!君は何故、そうやって大人を馬鹿にするような態度をとる!!言えるまで、帰宅するな!!」悔しかった・・何とも言えない感情が込み上げてきた。私は既に、LGBTのB&Tが備わっていたんだろう。B=バイセクシャル T=トランジェスター生まれついて定められた性。女心もあるが男心もある。1つの枠にはめる事しか考えていない大人など、私には必要なかった。ことごとく、担任はスルーした。そんな私の態度に尊敬のまなざしを向ける同級生達。関わると、自分の子が間違った道に進むと勘違いしている親達。どうでもよかった。好きなようにすればいい。何と言われようと私は私だ小学5年になるころには、少し体力もついてきて精神と健康維持のため剣道を習い始めた。6年生になったある日、剣道の練習中自分の体に違和感を感じた。歯がしびれる・・・・武道館はぐる
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秘密の場所 Ⅴ

引っ越しの準備は着々と進み、私は新しい学校に転校することになった。父は大切にしていた書籍を処分するという。「なぜ?捨てちゃうの?」父は微笑みながら言った「パパはね、中学しか出ていないんだ。漢字もほぼ読めなかった だから、友人から沢山の本を貰っては読んで勉強したんだよ。」そういう事か・・・納得がいった。そして父は続けてこう言った「(情けは人の為にならず)これがパパの信念だよ。意味が分かるかい?」「んと・・人に情けをかけるとその人の為にならないって事?」父は声をあげて笑った。「それは正解じゃないよ。人が困っている時、どんな形でもその人が前に進めるように助けてあげる。自分のできる範囲でね。そうすることによって、今度は自分が困っている時 自然と助けられる。守られていくんだ。月穂、その言葉を頭のタンスに入れておきなさい」「頭のタンス・・」ドキッとした。この事は誰にも話していないのに・・我が家は決して裕福ではなかった。4人兄弟・そして病気がちな私の治療代焼肉と言えば、鶏むね肉とこんにゃくが主役。それでも、クリスマスになると沢山の人がケーキを届けてくれる。父や母の友人たちだ。当時はバタークリームが主流で、苦手な私はバタークリームだけ残して中のスポンジだけ食べた。しかも届く個数は、毎年ホールケーキが5~6個クリスマス時期のおやつはケーキになったことは言うまでもない・・何故届くのか・・・父の言っていた言葉が頭に浮かんだ。みんな、父と母に何らかの形で助けられ感謝の気持ちで届けてくれるのかな。子供心にそう確信していた。おばあさんとの別れが近づくにつれ、私の心は落ち着かなかった。1日に何度もあの場所に
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