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【教養としての読書】源氏物語① 源氏の母の死

こんにちは今日も源氏物語の世界へようこそこれからは源氏物語のエピソードを紹介していきます源氏の母親が「桐壺の更衣(きりつぼのこうい)」であることは以前お伝えした通り。桐壺の更衣は23歳という若さで亡くなる。このとき源氏は3歳。数年前から宮中でのいじめによる精神的ストレスも重なり、病気がちで里下がりも多い様子であった。桐壺の更衣は、按察大納言(あぜちだいなごん)の娘であったが、父親が亡くなり、後ろ盾がなかったため、低い身分である更衣として、桐壺帝のお局にあがった。*ちなみに、天皇の后は、皇后・中宮・女御(にょうご)・更衣の順に身分が高い。身分の低い桐壺の更衣が、帝の寵愛を受けることに嫉妬した、他の女御や更衣は、廊下に汚物を撒き散らかして通れないようにしたり、扉を両方から閉ざして、会いに行けないようにしたり、桐壺の更衣へのいじめは悲惨であった。桐壺の更衣の葬儀は、愛宕(おたぎ・京都市東山区鳥辺野)で行われ、源氏の君は母親の実家に引き取られた。どの時代も、いじめは壮絶ですね!
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古典にみる恋愛文様

入内した弘徽殿(こきでん)女御には余裕しかなさそうである。まず帝の第一婦人である。右大臣の娘で家柄もよく、そしてなにより第一男子を誕生させている。一族は安泰である。 しかし、寵愛を独占できたのは彼女ではなかった。独占したのは桐壺である。しかし桐壺の父は大納言で右大臣より格下であり、産んだ男子は二番目である。 以上は源氏物語1帖「桐壺」の主要プロットである。 持った弘徽殿ではなく、持たざる桐壺が寵愛された理由は何なのか。桐壺は、「美しい女」とされているが、弘徽殿も、美しかったのではないか。家柄の気品もあるだろうし、教養もつんでいる。帝の「好み」が桐壺に軍配が上がるとはいえ、それ以外の全てで勝っている。桐壺は、帝の「好み」だけで寵愛を独占できたのだろうか。 もしかしたら、美しさ以外、勝る要素がなかったが故、寵愛を受けられたのではないか。つまり帝が惹かれたのは、「欠けている美しさ」ではなかったか。そしてもう一つ、弘徽殿の「嫉妬」が、帝の桐壺への想いを助長したのではないか。理は、現在も千年前も変わらない。欠けた月に趣きを感じ、恋愛のエネルギーは「難しく険しい道」そのものなのである。弘徽殿の取るべき手段は、「諦める」ことだったのかもしれない。諦めさえすれば、失恋した弘徽殿が誕生し、嫉妬そのものも吹き飛ぶ。「諦める」ということは、寵愛の放棄ではあるのだが。 「弘徽殿女御という人は、気が強く険のある人柄であった」、「弘徽殿から聞こえる管弦の音は、聞くに堪えない」と物語られるが、嫉妬の呪縛から逃れるためには、管弦の音で埋めるしか、実は余裕がなかったのかもしれない。 そんな視点からもう一度「源氏
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