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被害者から観察者へ

「保健室まるみ」です。人が人間関係で悩んでいる時、「被害者」から「観察者」になることをオススメする場合があります。人間関係に悩んでいると、多くの人は「自分は被害者だ」とおっしゃいます。例えば「私はいつも課長に怒られる」と思っている人は被害者ポジションです。そして、このポジションにいる限り、あなたはストレスから開放されません。でも「今日から毎日あなたが課長に怒られた回数を正の字で数えていって下さい」と言われたら、あなたは植物や動物を観察する科学者みたいに観察者目線を持つ様になります。そうすると、「午前中は少なめだなー」「もっと頻繁に怒ってる気がしたけど、1週間に1回だなぁ」「課長会議の後は意外と怒らないなぁ」など観察した事実から分析を始めます。これ想像すると、ちょっと楽になる感じしませんか?この様に「被害者」から「観察者」になると、辛い感情から抜けられることがあるんです。ビジネスの世界でマーケティングという言葉がもてはやされるようになってどのくらいでしょうか。あれってビジネスが上手く行く為のデータ集め、根拠集めみたいに思われていると思うんですけど、私は勝手に(一人で)観察者目線を持たせて、メンタルを落ち着かせる為のものだと思ってるんですよね。売りあげが上がった下がっただけを見ていると普通の人間はどうしても一喜一憂してしまうと思うんですが、それやってると疲れるし、冷静さを失うから失敗が増えるんだと思うんです。ちょっとした上下になんか一喜一憂しない天才社長だったらマーケティングなんかしなくても多分ビジネス上手く行く気がするんですよね。感情の入りにくい観察(マーケティング)をはさむと、
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リアル現実は、認識と知覚の問題

こんにちは~。光の翼 ここみんです。皆、それぞれ、自分が信じるものを選択しながら、自分の内面世界が映し出す外側世界を創造しています。皆、見えている事象の認識の捉え方や知覚が違うので人によって、幸、不幸も変わります。目の前で起こる事象や他者はただ「そうであるだけ」善か悪かポジティブかネガティブか観察する者(私)がそれをどちらかと捉えて、自分独自の世界を創造しているだけです。物事は、ただ、「起こっているだけ」善でも悪でもポジティブでもネガティブでもありません。同一のものでも人によっては善と捉えるし、別の人は悪と捉える。同じことが、一人の内側でも起こっていてこれが、二元性の分離です。今、ワクチンを打つか打つべきでないかについての意見が、世界中で対立しています。これもその人によって知覚が違うのでそれぞれ真実が違います。人によって、「コロナ」は真実であり恐怖や脅威をもたらすものだし、他の人にとっては、「コロナ」は真実ではなくさほど気に留めるようなものではありません。私にとっては、「スピリチュアル」は真実でリアルなものですが、他者にとっては、「スピリチュアル」は偽物胡散臭い。認識や知覚によってまるで住んでいる世界が違うような…。「離婚」も人によって善にも悪にもなる。「不倫」や「貧しさ」もそうです。その個人の知覚によって映し出して体験する現実世界が違うので、相手を説得しようとしたところで互いの価値観を押し付け、対立するばかりです。しかし、内側の否定的なエネルギーを浮上させ、手放していき自分の周波数を上げていくうちにアタマや知識からではなく知覚として、「どちらも真実、どちらも同じもの」というこ
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