伝統的な気功と現代版の「気功」は何が違うのか?
そもそも、僕がやっている気功とは何か?という質問に一言で答えると、、、、「共感覚による内部表現の書き換え」ということになります。こちらは、いわゆる伝統的な気功とは一線を画していて、分析哲学や認知科学をよりどころにしています。ですので、僕の気功では奇跡や魔法は起こりませんし(結果を見ると奇跡や魔法のようにみえますが)ペンが物理の法則に反して浮いたりはしません 笑。あえて科学という不自由な物差しをよりどころにしていますが、そのおかげで、現代版の気功は伝統的な気功とは違って長い修行の必要はありませんし、高いレベルでの再現性が担保できるわけです。要は、誰でも結果が出ます。そして、共感覚を使うというと俗に言うモーツアルトのような天才のように音が色で見えたり、ということではなくてあくまでもそれを人工的に起こします。もっと正確に言えば、あなたが言語でコミュニケーションを取るということがすでに共感覚です。なぜなら、言語に実態はなく言語は概念、つまり情報そのものだからです。だからこそ歴史が証明しているように、言語という情報世界を自由自在にあやつり他人にアプローチできる人は、人を思うままに動かし物理的な世界も自分の望むように変えることができます。ここで理論として大事なのは世界は、情報が物理を包括しているという点です。物理があって情報があるわけではなく、あくまでも情報が先と言う感覚です。物理側から世界を書き換えることは物理の法則を無視はできませんので、非常にコストがかかりますが、情報側からの書き換えにはコストはかからず、非常にコスパがよいのが特徴です。つまり、シンプルに言えば情報世界にアクセスして物
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