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家族の理想像の具現化

~ケアラーの役割と共有された目標~ うつ病患者の家族が直面する課題は複雑であり、理想像を描くこと自体が困難な場合があります。 現実の辛さや病気との向き合い方を考えることが先決となります。 回復が最優先事項である一方で、理想像を見据えることは家族の結束と希望を生む大切なステップと言えるでしょう。 現実と理想を結ぶ架け橋としてのアプローチを探り、家族の共有された理想像が生まれるプロセスに焦点を当てて考えました。 1.うつ病患者の家族にとっての理想像とは? 理想像を思い描く余裕もない、というのがリアルな気持ちかもしれません。まずはうつが回復して前と同じように生活できるようになること。「理想」を考えるのはその後、みたいな。 それもとても大切な目標ですよね。病気はやっぱり辛いし大変だから。 ですがうつ病など精神疾患は、「こうすれば治る!」という治療法や対処法が確立されていません。 不眠や抑うつ感、食欲不振、不安感を軽減するお薬はあります。ですがうつ病はそれだけでは回復しません。 休養や服薬で改善して一定の生活を独力で送れるようになったとしても、環境や本人の思考法に変化が無ければ再発の心配もあります。 「病気が治らなければ何もできない」と考えてしまうと、「なりたい理想の未来」はずっとお預け状態になってしまうかもしれません。 病気になった、という状態を抱えたままで、「こうなったらいいな」の理想を目指すことは難しいですか?2.理想像は家族みんなで思い描く 家族としての理想像ですから、そこにいる皆にとっての「理想」じゃないと意味がないですよね。 例えば ①うつ病になった夫(父) ②療養生活を支
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セルフネグレクトとケアラーのリスク

~精神的なセルフネグレクトの理解と予防策~ 「セルフネグレクト」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。 ネグレクト、は広まっていますね。主に児童虐待などで育児放棄として問題になる、放置や無視のことです。 それがセルフ、つまり自分へ向いた状態のことです。 セルフネグレクトとは何か、特に精神面でのセルフネグレクトとは、その原因と対策を、ケアラーへのリスク警鐘として考えました。 1.セルフネグレクトとは セルフネグレクトは、個人が自分自身に対して必要なケアや基本的なニーズを無視し、自己の健康や安全を軽視する状態を指します。これは一般的に、身体的なケア、食事、住環境の維持、医療の受診などに関する自己管理の不足を含みます。セルフネグレクトは、心理的な問題や身体的な健康の悪化につながる可能性があり、他人が介入しない限り深刻な状態に発展することがあります。人は衣食住+睡眠+他者との交流をバランスよく保ちながら生活を営みます。 健康的に生きていくために必要だからです。 ですがこうした要素に気を配ることをしない、または出来なくなった状態と言えるでしょう。 セルフネグレクトが問題になるケースとして代表的なのはごみ屋敷問題です。 片付け、清掃、ゴミ捨てと言ったごく当たり前の生活上のケアが出来ないことで、家の中にごみが溢れかえり健康的な生活を送ることが出来なくなってしまうのです。 (※ごみ屋化する原因はセルフネグレクトに限りません) 2.精神的なセルフネグレクト ①どんな状態か セルフネグレクトは、上述したごみ屋敷のような形に現れるものばかりではありません。 精神面でのセルフネグレクト、つまり自分の
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メンタルケアラーへ10のアドバイス

ー 自分を労りながら家族をサポート ーメンタルケアラーとは、精神疾患の家族を支えてケアする人のことです。 私もメンタルケアラーです。 ご主人や奥様、親御さん、お子さん、ごきょうだいなど、同居家族が精神疾患になったことで様々なストレスや不安、負荷で悩んでいる方はとても多いと思います。 今回は私自身の経験とカウンセラー・精神保健福祉士としての見解を踏まえて、「メンタルケアラーに身につけて欲しい10ヶ条」をお話したいと思います。 その1:体力 何はともあれ体力が必要です。 健康、と言ってしまうと、目指す地点が高くなりすぎてしまいます。勿論健康であればベストですが、大人ですから家族のことが無くても多少なりとも不調や不具合は抱えているものです。 体力は、一見メンタルと関係ないように見えます。 ですが「ちょっとくらい無理しても何とかなる」という、いざという時の裏付けになります。無理をしないことが一番ですが、保険の役目を果たしてくれます。 体力をつけるためには、生活リズムを守りましょう。眠れない家族に合わせて生活を変える必要はありません。 その2:相談相手 意外と難しいですが、一人または一か所は作っておきましょう。 専門家に相談出来るとメリットは大きいです。悩んでいる人の話を聞くのが仕事ですからどんな話も聞いてくれます。 併せて専門家ならではの情報や知恵、違う視点などももらえるでしょう。 専門家ではなくても、正直な気持ちを話せる相手がいる、というのはメリットが大きいです。 誰にも話さないで抱え込むことで、感情が膨らんで複雑化し、正体が分からなくなります。色んな色の絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜた
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ニューロダイバシティ

遅ればせながら、最近「ニューロダイバシティ」に興味を持ちました。 「ダイバシティ」は大分以前から広まっていますが、「ニューロ」が付く概念があるとは知りませんでした。 自分の勉強も兼ねて考えてみたいと思います。 1.ニューロダイバシティとは ニューロダイバシティは、教育や障害に対するアプローチであり、様々な神経疾患は普通のヒトゲノムの差異の結果として現れるのだ、ということを提唱する。この用語は、1990年代後半に、神経学的多様性は本質的に病的なものであるとする通説に対抗するものとして現れた。ニューロダイバシティは、神経学的差異は、ジェンダー、民族性、性的指向や障害と同様に、社会的カテゴリーとして認識され尊重されるべきであると主張する。神経多様性あるいは脳の多様性とも呼ばれる。(wikipedia)何らかの脳の特徴によって、人は言動や性格、思考に特徴が現れます。その代表格が神経発達症(発達障害)でしょう。 最初は病気=治療して直さなければいけない負の側面として捉えられていたのが、ICFの概念によって「生活面から補完していけるもの」という転換が起きました。 いずれも治療者・支援者の立場から見た考え方だと思います。 このニューロダイバシティは、脳神経の多様性を持つ当事者から見た「神経学的差異」の主張なのでしょう。 自閉者の権利運動(AMR)がその代表格ではないでしょうか。 2.「理解する」という言葉への理解 「話し合えば理解できる、とは限らない」 という体験は誰でもあると思います。それは、理解できる、という言葉による解釈の違いではないでしょうか。 理解する、とはとても幅広く奥も深いコミ
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自分事として捉える

家族がメンタル不調を抱えたとき、周囲は心配するし、悩みます。 出来ることは何かないか、それは家族が、ということもあるし、本人が、ということもあるでしょう。 その時、中心にいる本人が自分事として捉えていない、というケースも少なくありません。 こんな時、どう対処すればいいでしょうか。 1.病気の本人が自分事として捉えないのはどうして? 一つは変化した現実や自分の状態を受け止める準備が出来ていない、ということもあるでしょう。 病気になったばかりの頃は、急激に色んな事が出来なくなる自分に対して本人が一番動転しますし不安や恐怖を感じます。 すぐに「自分は病気なんだ、治療しなきゃいけない、病気でも自分の責任は果たさなければいけない」と考えられる人は稀です。 自分事として捉えないことで弱ったメンタルを守ろうとしているのです。 また、症状の一つとして思考力が落ちていることもあります。特にうつ病などはそうでしょう。何かを感じたり考えたりすることを「精神活動」と呼びますが、これが著しく低下するのもうつ病の症状の一つです。 手助けを求められない性格ゆえに、自分事に出来ない、という人もいるでしょう。 「何とか良くなりたい、社会復帰したい」と明言すれば助けてくれる人がいるにも関わらず、それを信じ切れない、頼るのが怖いと思ってしまう。 自分事として捉えることでSOSを出さなければいけなくなる事態を回避しているのかもしれません。 2.家族の対応はどうなる? 本人の次に色んな事が出来たり代理の決定権を持つのが家族です。特に配偶者や親には大きな責任を求められます。とはいえ、本人がどうしたいか、または何を辛いと
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ケアラーに役立つピグマリオン効果

「ピグマリオン効果」と言う言葉をご存じでしょうか。「教師期待効果」とも言います。 人は期待されると少なからず気持ちが前へ向くものです。その心理を活用した教育・コミュニケーションの態度です。 今回は、ケアラーと要支援家族との間で役に立つピグマリオン効果の使い方を考えてみました。 1.ピグマリオン効果とは ピグマリオン効果とは、他者からの期待を受けることでその期待に沿った成果を出すことができるという心理効果のことをいいます。アメリカの教育心理学者ローゼンタール氏が発表した心理学用語で、「教師期待効果」や「ローゼンタール効果」とも呼ばれています。(SmartDB)教育や育成の場で使われることが多い言葉です。 相手に対して効果的な期待を持って接することで、それに沿った成果を出してくれる、と言うものです。 教育、というより、コミュニケーションの理論ですよね。 こちらに対して良い印象や期待を持ってくれている、と言うことが理解出来れば、多少難しくても「やってみよう」「頑張ろう」「期待に応えたい」と考えるものです。 コミュニケーションの問題なら、ケアラーと要支援家族の間でも成立するのでは、と考えました。 家族をよく見て、その人に対する肯定的な期待を意識的に強く持って接することで、双方にとって良い結果が生まれるのでは、という仮説です。 2.ケアラー⇒要支援家族間での方法 ≪事例≫うつ病による睡眠障害の影響で朝家族と同じ時間に起きられないことを悩んでいる要支援家族①今の本人の状態を把握する まずうつ病自体がどの程度改善しているか、を考慮する必要があります。 まだ初期段階の重い時に期待をかけるのは相
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ケアラーが陥りやすい認知の歪み

認知の歪みとは「思い込み」「思考の癖」「バイアス」等と言い換えることが出来ます。無意識にやってしまっている自分の考え方の中で、特に偏ってしまっているために自分のストレス源になっているような物の見方です。 ほとんどは10通りに分けることが出来ます。 その中で特に「ケアラーを悩ませやすい認知の歪み」と、その対処方法を考えました。 ≪認知の歪み 10パターン≫全か無か思想一般化のしすぎ心のフィルターマイナス化思考結論の飛躍拡大解釈&過小評価感情的決めつけすべき思考レッテル貼り個人化(コグラボ)1.一般化のし過ぎ 「一度自分に起こった失敗や良くない出来事が、この先もずっと繰り返すように思い込んでしまうこと」(コグラボ) です。 メンタルの病気の症状が表面化するときは、慣れていない人がびっくりしてしまうような状況が起きます。 ◆突然「会社に行けない」と言って動けなくなる ◆「死にたい」と口にする ◆見たことが無いような怒り方をする これらに直接接した人はショックが大きすぎるため強く記憶に残ります。 そして過剰に心配するようになり、「また次も同じことが起きる」と思い込んでしまいます。 2.結論の飛躍 「事実とは異なる悲観的な結論に飛躍してしまう思考」(コグラボ) です。 家族の気持ちを深読みしすぎたり、不安回避のために先回りしようとして、思考そのものが現実から離れてしまうのです。 家族がうつ病になって自宅療養しているとき、久しぶりに友人から旅行に誘われた。行きたいけれど「きっと行かないで欲しいっていうはずだ」と思い込んで相談せずに断ってしまう。 本人がリハビリ的に動き出そうとした時、その後
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ケアラーのセルフケアを考える

家族をケアすることは、家族の役割とはいえ決して楽なことではありません。 けれど一時的だったとしても担わないわけにはいきません。 辛い役割や経験はストレスを生みだします。 ストレスはケアしなければケアラー自身が倒れてしまいます。 ケアラー特有のストレスと、それに対するセルフケアについて考えました。1.ケアラーのストレス例①生活上のストレス 毎日の生活はどうしたってストレスの連続です。疲れるし、面倒だし、慣れたことだから面白味や新鮮味は薄いし、頑張ったところで誰に褒められることも感謝されることも無いし。 ただでさえストレスが「塵積も」なところに、「家族のケア」という重大な役割が追加されます。 毎日30分かけていた作業が、ケア対象者分も自分が請け負ったり、「自分しかやる人がいない」という状況が逃げを許さないため、切迫感もプラスされます。 ②ケア対象者とのコミュニケーション ケアを必要とする状態にある人は、その人にしか分からないようなセンシティブさを抱えます。 そういう人と一番近い距離で接するケアラーは、当然ながら対象者のネガティブな針に触らないようにしながらコミュニケーションをとる必要があります。 ただどうしても完璧に避けることは出来ないので、どこかで衝突することもあります。 それによるストレスや、「何を気をつければいいんだ…」と途方に暮れてしまうこともあるでしょう。 ③たまる疲労 1日は24時間です。大体7時間くらい睡眠して、9時間会社にいて、家と職場の往復時間、食事、入浴など考えると、本来自分の時間は微々たるものです。 その上でケア対象者に割く時間が増えるとなると、冗談ではなく寝
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ヨソはヨソ、ウチはウチ ~比較しないコツ~

うつ病(その他精神疾患)になったり家族がそうなると、どこかで「他のうつ病の人やその家族は……」と比べてしまうことがあります。 比べてしまったときどう考えればいいか、比べてもダメージを受けないためにはどうすればいいか、を考えました。 1.ケアラーは何を比べる? 家族の誰かをケア(看護、介護、看病、世話)する人を「ケアラー」と呼んでいます。 ケアラーは、自分・自分たちの状況と何を比べてしまうでしょうか。 ◆他のケアラー、家族 ◆専門家 ◆書籍 家族が病気になれば、回復してもらうため、支えるためにとにかくケアラーは勉強します。皆さんすごい勉強家で、ある分野においては専門家と同じくらい情報量を持っています。 たくさんの情報に接する中で、成功事例や体験談にも接します。 事例には家族構成や病名、年齢なども書かれています。自分たち家族にとても近い事例にも出会います。 すると、「どうして私たちはこの人達みたいに出来ないんだろう」と、現状と比較して落ち込んでしまいます。 専門家の意見に対しても同様に、「先生が言っていることがどうしてすぐに出来ないんだろう」と、自分の努力不足・スキル不足のように感じて悩みます。 書籍も同様ですね。専門書は分かりやすくするために図やイラストが多く使われていますが、図の流れと同じように進まない自分(達家族)に失望してしまいます。 2.どうして比べる? ケアラーに限らず、自分と他者を比べることにそれほど意味はないことは、ほとんどの人が実感していると思います。 けれど比べてしまう、比べざるを得ない状況に自分を置いてしまう。 何故でしょうか。それは◆分からないことが多い ◆
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日常レスパイトでケアラーケア

前回は福祉サービスを活用したレスパイトについてご案内しました。 本日は公的サービスの活用以前に、生活の中で出来る「日常レスパイト」について考えてみたいと思います 1.メンタルケアラーにレスパイトが必要な理由 身体ケアや日常動作介助が必要な高齢者・身体障害者介護と、うつ病などの精神疾患を患った家族のケアは内容に違いがあります。 精神疾患の場合は以前より出来ないことが増えたとはいえ、トイレや食料摂取、横になったり起き上がったり、着替えなどは本人が可能です。 ではどこでレスパイトが必要になるか。 それはコミュニケーションに由来する疲労です。 些細な言葉の取り違え、本人とは関係ない行動への誤解、周辺環境から受ける刺激に対する反応が違うことだったりします。 感性が全く同じ人間などいないですから、精神疾患ではなくてもある程度こうした問題は起きるでしょう。 しかし精神疾患の場合は、これらによって本人の症状が悪化したり再燃し、危機状態になる可能性もあります。 家族は常にそれらに配慮しながら生活することになります。 一見普通に生活しているようで、神経をすり減らしているケアラーは少なくありません。 だからこそ、メンタルな問題を抱える家族と暮らすケアラーにもレスパイトが必要なのです。 2.レスパイトの意味を広げて考える レスパイトとは「休息」「息抜き」「小休止」という意味です。 転じてレスパイトケアとは、支援対象者を施設に任せる時間をケアラーの休息時間にあてる、という意味になります。 これを広げて考えてみました。 休息、息抜き、一時的な解放↓ 誰かに任せる、頼る リフレッシュする 延期する/猶予を作
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家族ケアをする人のレスパイト(福祉サービス編)

「レスパイト」をご存じでしょうか。 言葉の意味では「休息」「一休み」です。 福祉の世界では、介護対象者を施設で一時預かりすることで、その間在宅でケアを請け負っている人にゆっくり休息を取ってもらう、という意味で使います。 高齢者介護に限らず在宅で家族のケアをしている人には等しくレスパイトが必要です。 特に家族の精神障害のケアをしている人のレスパイトについて考えてみました。 1.一般的なレスパイトサービス 原則65歳以上の要介護認定を受けた人には、介護保険サービスの「デイサービス」が利用出来ます。 これは日中介護施設で対象者を預かってくれるサービスです。または「ショートステイ」といって宿泊込みで短期間預かってくれることもあります。 目的としては対象者のリハビリテーションですが、その間自宅では介護の必要が無いため、ケアする人は休息をとることが出来ます。 ただし、これは高齢者対象です。 64歳以下のうつ病等の精神障害者は対象外です。 精神障害者を対象とした直接的なレスパイトサービスはありませんが、精神障害者の家族にもレスパイトは必要だと考えています。 2.レスパイトサービスに代わるサービスは? 介護保険のように「レスパイト」と名がついた支援はありませんが(もしもあったら申し訳ありません。私の勉強不足です)、それに代わるサービスはあります。 要は、精神障害者を一人にせず、家族が付きっきりにもならずにいられる時間を作ることが必要なのです。 本人の回復度合いに拠りますが、該当するのは以下のようなものです。 ①生活介護常時介護を必要とする障がい者が主に昼間において施設などで入浴、排泄、食事の介
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「うつ病だから」と言われたら

うつ病に限らず、メンタルの病気を患っている人とは基本的にケンカはしないほうがいいでしょう。症状が悪化したり再燃する可能性が高いです。 そして、話し合い、言い合い、ケンカになってしまったとき「(こっちは)うつ病だから」と言われたら、そうでない側は黙るしかなくなります。 うつ病だから、と言われたとき、家族は、周囲はどうとらえ、どう対処すればいいでしょうか。1.うつ病相手でもケンカになってしまうことはあるケンカをしないに越したことないのは、うつ病関係なく誰が相手でも同じです。どんなケンカも、結果としてそうなってしまった、という状況の一つにすぎません。 しかし相手がうつ病(その他精神疾患)を患っていると、特にケンカにならないよう配慮をするでしょう。 それ自体は必要な気遣いですが、かといってケンカにならないことだけがベストでしょうか。 ケンカになることを恐れすぎて、必要なことを伝えられなかったり、家族・周囲の人間の言い分も言えず我慢するだけでいいのでしょうか。 それは結果としてコミュニケーション不足→コミュニケーション不全→関係性の崩壊につながりかねません。 2.必要なケンカも「うつ病だから」で終了してしまう覚悟を持って意思を伝えようとしても、何かの拍子に「うつ病だから」と言い返されれば、家族・周囲は飲まざるを得ません。 確かにうつ病だと、出来ることに限界がありますし、健康な人と言い合いが出来るだけのエネルギーもないし、思考もゆっくりとしか働きません。ケンカとはとてもエネルギーを使うものですから。言い終わってスッキリするのは健康な場合だけです。 言いたいことがあるから始まった会話が、お
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支える人の辛さはどこから?

相手がどんな状況で何に困っていて、自分とどんな関係で、自分には何が求めらえているか、など、一口に「支える」と言っても千差万別だと思いますが、簡単なことではないこと、しんどさが増える覚悟が必要なことは共通しています。何故辛いのでしょう。そして辛さに対してどう対処することが可能なのでしょうか。1.支える人の辛さとは?①自分が全責任を取ろうとする特に妻・夫・子・親などの唯一無二の関係性だと「自分しかいない」と、腹を括りすぎてしまいます。支えられる側としてはとても心強いですが、かといって実際に可能かというと、中々難しい。問題が大きければ大きいほど無理です。皮肉なことに、支える側を大切に思っているほど「失敗は出来ない」と思い込んで、責任の度合いが増していきます。②周囲からの期待と無理解支える人が近しい関係であるほど、周囲から「あなたがしっかりしないとね」と背を叩かれます。それは周囲からの信頼の証かもしれませんが、疲れてくると重荷でしかありません。少しでも弱音を吐くと「でも本人のほうがもっと辛いんだから」と、支える人の辛さは一蹴されます。それが続くと「自分だけ辛い」ような孤独感が高まります。③自分を後回しにする目の前に辛そうな人がいて、自分しか支える人がいなくて、周囲からも「あなたが頑張るのよ」と言われ続ければ、毎日がその人中心に回るのは当然です。一定期間だけ、と終わりが見えているなら踏ん張ることも出来ますが、病気の人を支える場合、オシリは見えません。特にうつ病は明確な「完治」が無く波を繰り返すので、支える人のメンタル状態も一緒になって上がったり下がったりしてしまいます。そうこうしているう
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見守ることの難しさと大切さ

家族がうつ病になった時に一番大切なことは、実は「何もしない」ことです。放置する、無視する、という意味ではありません。◇本人が何かしたいと思うまで、じっと見守る。◇手助けを求めてくるまで、焦らず待つ。◇自分(サポート側)は無理に(必要以上に)うつ側に合わせないことが必要です。しかし、中々難しい。それは何故でしょうか。そして「何もしない(見守る)」ことが、何故一番大事なのでしょうか。【家族が出来ることは?】厚生労働省HPの「こころの耳」に、このようなアドバイスが掲載されています。「ご家族にできること」1.    いつもと違う様子に気づく2.    相談につなげる3.    療養を支える4.    こころの病気への基本的な対応を理解する5.    自殺のサインに気づく6.    過労死の予防どれもすべて大事なことです。でもこうして列記されると「やることたくさんあるじゃん…」と思いますよね。しかしこの中の「3.療養を支える」が、毎日の生活そのものになります。支える、とは、特別な何かをすることではなく、本人の好きに過ごすことを認めて、好きに過ごす生活が続けられるように環境を整えることなのです。【何もしないではいられない理由】しかし、これが難しい。口で言うほど簡単ではありません。うつ病の初期は急速に症状が悪化する急性期に該当するので、どんどん様子が変わっていく本人を前に、家族は慌てます。丸一日布団から出られず、無表情になり、食欲もなく、虚ろな目で座り込んでいる家族を見るのは恐怖です。その恐怖から逃れたくてあれこれ手を打ちたくなります。そして何とか元の状態に戻そうと、励ましたり気分転換を勧め
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「頑張れ」以外の声かけをしよう

うつ病に代表される、心の病で苦しんでいる人に「頑張れ」が禁物であることは広く知られています。頑張って頑張って、それでも辛くて病気にまでなってしまった人がうつ病ですから、「頑張れ」がどれほど酷な言葉かは想像に難くありません。でも、追い詰めたくて言っているわけではありません。応援したい気持ちがあるからこそ、他に良い言葉が思いつかず、つい「頑張れ」と言ってしまう。励ましのつもりが相手を苦しめているとしたら、不幸な本末転倒です。では、どうしたらいいでしょうか?私からの提案は、「その時の自分の気持ちを分析して、目の前にいるその人に、違う言葉を使う習慣を身につける」です。1.なぜ「頑張れ」と言いたくなるか家族や友人は、その人とずっと一緒に過ごしてきました。もしかしたら誰よりも明るく元気で、リーダーシップがあってアグレッシブで、みんなを引っ張っていたような人だったのかもしれません。そういう人だ、と思って接してきたのでしょう。なのに、別人のようになってしまった。以前の「本当の」その人に戻って欲しい、頑張ればまたそうなれるはず、それだけの力を持っている人だ。という信頼があって、苦しみから解き放ってあげたくて、その結果出てくる言葉が「頑張れ」なのではないでしょうか。2.「今の」のその人をそのまま受け入れる頑張って欲しい、元に戻って欲しいという気持ちを持ち続けている間は、きっと「頑張れ」と声をかけてしまうでしょう。見た目は寝ているだけ、一言も発しないから、全く頑張っていない、頑張ることを放棄しているようにも見えてしまっているのかもしれません。その人の以前の実力を信じる気持ちはそのまま保存して、一旦仕
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