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ことわざ

【表記】情けは人の為ならず【読み】なさけはひとのためならず【意味】 人に情けをかけることは、相手のみならず、巡り巡ってやがて自分にも良い形で返ってくるという意味。梅個性(大物):https://coconala.com/blogs/2722005/228651 松個性(城) :https://coconala.com/blogs/2722005/228889 桜個性(人) :https://coconala.com/blogs/2722005/228829 リズム意味 :https://coconala.com/blogs/2722005/215858 1000円クーポン:https://coconala.com/invite/B5QXX3
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恩はどこまでなのか?

「一宿一飯の恩」困っているときに、手を差し伸べてくれた人に対しいつまでも恩に報いる、逆にどこまで返すのか?を考えている時点でダメなのか?今、一宿一飯に恩を分かる人は居るのか?自分を守る為に平気で人を裏切る人それが普通になっているのか?私は、三国志が好きなので、吉川英治をはじめ数種類の三国志を読み違いと同じを探したことがある私が感じ取った≪同じ≫は、自分の志を貫き通す為の裏切りだと思います昨日の敵は今日の友いつ敵になるか分からない・味方になっても直ぐに裏切られるその部分のみをしてに持って三国志を読むと今までと違う感覚になります話を元に戻し、恩を受けその恩に報いる時は、報いる人によって変わってしまうと思います義理堅い人であれば、続けることに道をかんじます時に何もの人には、良い所で打ち切りにすることも大切だと思います
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格言

人の道を守らない人間、                 親を大事にしない人間、                             恩ある人に砂をかける人間に、                                                           運はついてこない樋口武男(大和ハウス工業会長・CEO)梅個性(大物):https://coconala.com/blogs/2722005/228651 松個性(城) :https://coconala.com/blogs/2722005/228889 桜個性(人) :https://coconala.com/blogs/2722005/228829 リズム意味 :https://coconala.com/blogs/2722005/215858 1000円クーポン:https://coconala.com/invite/B5QXX3
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「自分の感受性くらい」

この「自分の感受性くらい」というタイトルは 茨木のり子さんという方の詩のタイトルです。 ご存じの方も多いかと思います。 今は学校の教科書にも 載っているのかな? 私は約18年前にお世話になっていた 焼肉屋のママさんから教えてもらいました。 当時、生活に追われており 仕事と家の往復のみの生活。 必死過ぎてその当時の記憶を うまく思い出せないくらいの状態でした。 そんな時、久しぶりに高校時代の同級生から その焼肉屋さんで飲み会があるから来ないか?と お誘いを受け参加することにしました。 そこに集まる同級生達は みんなオシャレをして好きなことをして 人生を謳歌している様子。 その光景を見た私は自分だけが 取り残された気分になり愕然としたのです。 そのママさんは音楽が好きで 定期的にライブイベントを 企画し開催されていました。 わたしは中学時代からギターを弾いていました。 それを知っている同級生が そのママさんにギターが 弾けることを伝えたところ 「ライブの前座で出演しないか?」 と、お誘いを受けました。 最初は 「下手なんで無理っす…」 と断ったのですが、 「うまいか下手は聞いていない」「やりたいのやりたくないの、どっち?」 と笑顔で言われ、 私はとっさに 「や、やりたいか、やりたくないかいうと、やりたいですかね…」 と答えていました。 おそらく、そのママさんは わたしの欲求を見抜いていたのでしょう。 内心、心配でしたが ワクワクしている自分がいました。 「やりたいなら、その気持ちに正直にならないとね」 と言われ、続けて教えてもらったのが この「自分の感受性くらい」の詩でした。 すご
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感謝の気持ちは時間の経過とともに

助けてくださった方への感謝の気持ちは時間の経過とともに薄れていくのか?助けてくださった時の、感謝の気持ちは自分が出した実績の評価が正常にされていないと感じた時点で薄れていくのか?お願いする時は、藁をもつかむ思いでお願いしているのに藁を掴んだ後は、平気でその時の恩(気持ち)を忘れることが出来るのか?逆で考えると、感謝の対象には、ずーと正当な評価を求めてはいけないのか?こんな話を聞くことがあります。「助けてくださった」=「必要」とも推測できますし「助けてくださった」=「これくらいの金額なら」と思われているともお願いの方法やその時の気持ちは、置いておいて、「助けてくださった」時点で≪契約≫が成立しています。その後の評価は、≪契約≫内容に沿った目的を達成できているか?です。達成できているならば、≪契約≫満了前の更新で交渉するだけですし、達成できていなければ、終了OR継続の話になるだけだと思います。一宿一飯の恩はとても大切と思うこともありますが。どんなスタートにせよ≪契約≫として、結果がどうか?で判断されると思います。感謝・恩と自分の卑下は全然違うと思います。
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ouen

夢を叶えるのは自分のチカラでは無理。と、仰る人がいました。夢を叶えるのは、応援してくれる人達のチカラ人に頼らず、自分のチカラで生きてきた自負がある大人はどう思うのか?<人は、そんなにいい大人ばかりでなく、常に騙そうとしている。><夢は自分のチカラで叶えるものだ。>「お困りの時は、なんでも言ってください」聞いてはくれます。「この恩は、忘れません」24時間で忘れます。エビングハウスの忘却曲線でも分かります。【応援】純粋であり、最も純粋でない言葉の一つなのかもしれません。
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No,40 名言

人に施したる利益を記憶するなかれ、   人より受けたる恩恵は忘るるなかれ。
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