「正解」の過食、インプットの罠
インプットの海で、自分の「声」を拾い上げる最近、ふと立ち止まると、かつての自分は、自覚できないほどに頭の中が「よその言葉」でパンパンになっていたことに気づきます。本を読んだり、誰かの発信を追いかけたり。「これを学べば」「今度はあれを身につければ」と、次に進むためのチケットを必死に買い集めているような感覚。でも、チケットが増えれば増えるほど、肝心の「自分がどこへ行きたいのか」が霞んでいく。そんな、妙に乾いた疲れを感じていたと思います。これって、インプットの量が多いせいじゃなくて、「外側の正解」を当てに行くことに慣れすぎていたせいなのかもしれません。「正解」という名の、心地よい麻酔思えば、外側の正解を探している間は、どこか安心していられました。フレームワークとか大好きでしたから、めちゃくちゃ集めてましたね…笑「正しいやり方」に従っている限り、失敗しても「そのやり方が自分に合わなかっただけ」と言い訳ができる。でも、それは自分を守るための鎧というより、自分の心にかけた「麻酔」だったのだと思います。「本気でやっているつもり」なのに、どこか空回りしているとき。それは、全力を出していないのではなく、「自分の内側を掘り下げること」から、無意識に逃げていただけだった。 失敗して、自分という人間の底が見えてしまうのが怖くて、情報の薄皮を何枚も重ねて、自分を覆い隠していただけなんじゃないか……。そう気づいた時、少しだけ背筋が寒くなりました。「出す」ことでしか、自分には出会えないインプットで頭が重たいとき、それは脳が「未処理のタスク」でゴミ屋敷になっている状態です。 「正しく理解しなきゃ」「価値のある
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