幸せとはなんだ?-アマゾンのある部族の話(続き)
昨日の続きです。ピダハン族の人たちは実に楽観的で将来のことなんか悩んだりしません。未来という概念をもたないのですから悩みたくても悩みようがないんですね。また、おしゃべりが大好きでいつもみんなでおしゃべりしていているのですが、それでいて人間関係の悩みやストレスとはまったく無縁です。おはようとか、ありがとうとか、相手への気配りの言葉もなく、しかも人間関係の摩擦はない。将来への不安もないので、蓄えという概念もなく、当然、物欲も育ちません。だから他人への妬みとかそういったものもなく、つまらないいさかいなんかも起きないわけです。さらに、社会ヒエラルキーはないように見え、正式な指導者もいません。非常に重要なことは、過去という概念がないため、自分たちのルーツを語る創世神話もなければ、神という概念もなく、宗教もないことです。ただし、ジャングルにいるとされる精霊の存在は信じているのですが。とまあ、このようにピダハン族は非常に特異かつユニークな生活を送っています(まだまだ興味深い点があるのですが書き切れません)そして、これらのことを聞くと、幸せとはなんだろうとか、私たちは進んだ文明をもっていると思っているが本当に幸せなのだろうかと言い出す人が必ず出てきます。しかし、よく考えてください。彼らのような生活が本当に幸せなのでしょうか。少なくとも文明社会に生まれ、生活し、その上、さまざまな抽象概念が脳に組み込まれている私たちにとっては幸せとは思えません。彼らをうらやましがる人たちは彼らが抱える悪条件を考えてください。生活は決して楽ではないはずです。本人たちが気にしていないにしても。また、言及はされていませ
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