絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

2 件中 1 - 2 件表示
カバー画像

心が汚れる瞬間

我慢している限界が来ると、人は自分の心を守る為に汚い言葉を吐き出します吐き出した言葉は、他人を傷つけ勿論吐き出した本人も傷つけます。この行動が、継続されると汚い言葉から<暴力>に変わっていきます。<暴力>を振るう大人は「その人の為」「躾の一環」とお決まりのセリフを吐き出す。また、自分に都合の良い解釈をして事実を捻じ曲げ始めます。その行為に同調する仲間がいる場合は、<声>が大きい方が優位に物事を運ぶ傾向があります。SNSに目を通すと、高確率で<心の汚い大人>を発見してしまいます。WBC最中は、中和できていましたが、現在は中和できる話題がないので目に飛び込んでくるSNSの情報はシャットアウトする様にしています。「赤信号は止まれ」基本的な事に対しても、意味不明な解釈で汚い言葉を吐き散らす大人。悪いことをしても平気で私は正しいと言い切れる大人。子どもは、大人の真似をします、その大人が自分の親であれば高確率でその行動を正義と勘違いします。この文章を書きながら私の心も汚れ始めましたので終わります
0
カバー画像

汚い言葉で自分を鼓舞

こんにちは皆様。汚い言葉ですが『くそったれ』と思うことがよくあった。会社で事務、経理をやっていて、どう考えても資金ショートしそうな時、仕事が在るのに利益が少ない時、そんな時は心の中で思いっきり『くそったれ』と叫んでいた。叫ぶだけでは足りなくて、心がイラつき始めると、そこでハッと気付く、どうするか?どうすれば良いのか?自分の仕事は経理だったし、交渉も下手だったので、新しい取引先を探す事は困難、社長である夫も新しい所を探して、そこがちゃんとお金を払ってくれるかどうか解らない、探さない方が良いと考えていた。私は自分に出来る最善を考えて、経費を減らす、固定費を減らすなどしていた。固定費を減らすとは、ハッキリ言うと、人に辞めてもらう事だった。これは精神がやられる、雨の日に開いた傘を晴れてきたから閉じるみたいには、バサッと気持ちを入れ替えるのは難しい。止めてもらう時は、社長は言えないだろうと「申し訳ない、こんな事態になったのは、上である私たちの責任です。」と言って頭を下げた。会社って奴はほぼ人で成り立っている、だから人を切るのは、きっと間違っていて、本当は次の仕事を探すべきだったんだろうと、今は思っている。その頃は会社が無くなれば、雇用の場が喪失する、在りさえすれば次にまた人を雇う事は出来ると考えていた。売ってしまったので、結局敵わなかったけど。今思うと『くそったれ』と思っていた自分は、随分本気だったな、いや違う、元気だったな。人間は怒るのには力がいる、『くそったれ』は自分の中では怒りだった、何に向かってではなく、自分や今の状況に向かって怒っていた。怒りが次に向けて考える力を与えてくれてい
0
2 件中 1 - 2
有料ブログの投稿方法はこちら