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人間は元来、ネガティブを感じるようには作られていない

「人間は本来、ネガティブを感じるようにはできていない。」そんな言葉を聞いたことがある。この二元の世界でそんなこと可能なのか?とずっと思っていた。人間の本来の姿が日本仏教最高の状態―ダイヤモンドドラゴンボディつまり、金剛薩埵であるなら可能ということになるのかもしれない。金剛薩埵とはダイヤモンドのように堅固にエネルギーバランスが永遠に崩れない者。それが金剛薩埵であり、ダイヤモンドドラゴンボディ金剛薩埵はヴァジュラ・サットヴァと呼ばれヴァジュラはダイヤモンドのように堅固なる者。サットヴァは3つのグナのうちのラジャスでも、タマスでもない者。インド哲学おいて、人間の心には3つの性質(グナ)があるとされている。ラジャス:激質→積極的、攻撃的、刺激、貪欲、奮闘 タマス:鈍質→消極的、受動的、抵抗、停止、怠惰 サットヴァ:純質→積極と消極のバランスの取れた状態、明晰、的確ラジャスやタマスというその両極端な性質は、単にエネルギーバランスが崩れて偏った状態であるだけであり、多くの人はそれが自分の個性であり、性格だと思い込んでる。ラジャスやタマスという状態、それはあなたの個性でも性格でもありません。単にエネルギーバランスの乱れです。ラジャスのひとは休みの日でも予定を常に入れていて、常に動いていないと気が済まないようなひとです。タマスは逆に休みの日になんの予定もないことこそが喜びでずっと家で過ごしたいひとです。サットヴァはラジャスでもタマスでもないものとされています。どちらにも偏っていない者です。ダイヤモンドドラゴンボディ=金剛薩埵=ヴァジュラ・サットヴァとは永遠にダイヤモンドのように堅固にサットヴァ
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運命変革の具体的方法ってありていにどうするの。

 運命変革の入り口は仏教ではこれら煩悩に支配される「六道を出る事」とされており、六道を出る方法が仏教の軸である四聖諦である。その教えに触れて、よし、六道を抜け出ようと決意するときの心が.金剛薩埵である。先人の教えを信じ、奥深い仏法を学び、遠い道をあきらめない決意をここでちかう。 ちかいというのはひとをつくる。ああ高校までなめられっぱなしだから、空手部でも入って強くなるか、とは言ったものの「うちの部に入ったらやめさせないことになっている、それでもやるか」と念を押される。「やります。」といったが最後地獄のトレーニングの日々だ。ついに合宿の時が来てもう耐えられない音を上げる。どこの運動部でも一日8時間練習するわけだからどの部に入ってもつらい。そのうちやめたいと言い出すものが出てくる。金剛薩埵でない人たちだ。 金剛薩埵となり、一心に六道から抜ける法を求めてその道を求める心を菩提心と言い、仏の教えに従って瞑想しているときの定を経て、さまざまの高次の心の状態に至ることができるといろいろなお経に書かれている。そこまで行けば占う不幸ももはやなくなるということである。 高次に至っての、幸運のタネは「徳」と言い表して、良い運命をもたらしてくれるものだ。貧者の十徳とか長者の十徳などがある。とりあえず菩提心はないが、十徳やればいいならやってみるかでも、入り口としていいと思う。やりかたはねえ、びんぼー人には長者の十徳はできないから、貧者の十徳から始めようね。金持ちになったら、長者の十徳をしよう。 長者の十徳とは、どっかの社長のように社員にセクハラどころか枕営業までさせて、人生ぼろくそにして、いい気になっ
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