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禁断の木の実を食べたのはなぜ?

「宗教2世」についての話は長くなりそうです…。 しばしお付き合いを…。 さて、 「全能の神が完全な人間を造ったのなら、なぜ禁を破ったのか?」 という問いに答えられず宿題として持ち帰り、 わたしの研究司会者だった長老(金澤でも初期の信者)に質問してみると 彼もすぐに答えが出ず、 その長老と奥さんとわたしの三人で手分けてしてJWがどう答えているか 「出版物索引」を何十年分も手分けして調べて、結局僕が産まれる前のものまで調べる羽目になりました。 とりあえず出た結論は 「完全な人間とは自由意志を持っていて、病気等にかからない永遠の命を持った人間だから、 創造者は最初の夫婦の自由意志を尊重し、その上で罰した」 というものでした。 1週間後その答えを伝えて、結局物別れに終わりました。 でも、僕の心の中に大きな変化が起きました。 以後数千年人類史が不幸を経験する(JW的にはエデン喪失後の人類史は不幸なのです)としても、 エホバは自由意志とやらを尊重した。 ならば自由意志は誰も冒してはならないじゃないか! これは以後、棄教した後もわたしの精神的な背骨のひとつになり、 こうしてブログのタイトルにするほどです。 この時から、二世の「信じない自由」を僕なりに尊重するようになりました。 これをお読みになって、「じつはカウンセリングを受けてみたい」と思われた方、コメントに書き込んでください。 Twitter​か​Facebook​にメッセージを送っていただいても構いません。 ​ クライシス・カウンセリング [ 下園 壮太 ]​
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次元が低い人の考え方

出会い方が違えば差別や区別など生まれはしないんだろうなと思います。いろんなバイトをしていた時期の話ですが、登録スタッフの仕事で飲食店に冷蔵庫を設置する仕事のお手伝いで現場に出向いたことがあります。おそらく雇い主は冷蔵庫を設置する会社だったと思いますがそこの担当のおっさんがとにかく怒る人でした。自分の会社のスタッフには普通の対応で私にだけはものすごく冷たく、「違うだろ!」「お前なにやってんだ!」と怒鳴りっぱなしでした。なにもやってないのに適当な理由を付けられ怒られました。今だったらそのおっさんをボッコボコにして東京湾に沈めていますが登録スタッフだったのでなにも言えませんでした。過去を振り返ってもあんなに人をゴミのように扱う人はいません。でもこれがもし登録スタッフとしてではなく例えば取引先の社長としておっさんに出会っていたら、おっさんの対応はまるで違ったと思います。むしろ、向こうがペコペコ頭を下げていたかもしれません。出会い方が違えば向こうの態度はきっと変わっていたと思います。じゃあこの違いはなんなんだろうか。登録スタッフとしても仮に取引先の社長としても同じ人間として出会っているのに、なぜ態度や扱いに違いが生まれるのだろうか。もしあなたに上司がいたとして理不尽にあなたを怒ってくるパワハラ上司だったとします。でも、出会い方が違くて例えば友達の紹介で上司に出会っていたとしたら理不尽にあなたを怒ってはこないと思います。じゃあこの違いはなんなんだろうか。立場が上とか誰が偉いとか本当はそんなのはなくて、アダムとイヴだって本当はそんなの望んでいたわけではなくて、対等に人と接することが人間関係に
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