禁断の木の実を食べたのはなぜ?

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「宗教2世」についての話は長くなりそうです…。
しばしお付き合いを…。
さて、
「全能の神が完全な人間を造ったのなら、なぜ禁を破ったのか?」
という問いに答えられず宿題として持ち帰り、
わたしの研究司会者だった長老(金澤でも初期の信者)に質問してみると
彼もすぐに答えが出ず、
その長老と奥さんとわたしの三人で手分けてしてJWがどう答えているか
「出版物索引」を何十年分も手分けして調べて、結局僕が産まれる前のものまで調べる羽目になりました。
とりあえず出た結論は
「完全な人間とは自由意志を持っていて、病気等にかからない永遠の命を持った人間だから、
創造者は最初の夫婦の自由意志を尊重し、その上で罰した」
というものでした。
1週間後その答えを伝えて、結局物別れに終わりました。
でも、僕の心の中に大きな変化が起きました。
以後数千年人類史が不幸を経験する(JW的にはエデン喪失後の人類史は不幸なのです)としても、
エホバは自由意志とやらを尊重した。
ならば自由意志は誰も冒してはならないじゃないか!
これは以後、棄教した後もわたしの精神的な背骨のひとつになり、
こうしてブログのタイトルにするほどです。
この時から、二世の「信じない自由」を僕なりに尊重するようになりました。
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クライシス・カウンセリング [ 下園 壮太 ]​

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