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認定はいらんから

長いお休みをしていました。いろいろなことがありました。心を扱う者として、考えさせられることの多い時間でした。今更ですが幼少期の記憶・体験はカウンセリングのコアテーマです。どんな親にどう育てられたかは、人格形成のカナメ。ただ・・・大人になってから、その人に「幼少期の愛情不足」や「愛情過多」を見出し『ちゃんと子供でいられなかった可哀想な人』とだけ位置付けるのは、いかがなものでしょう?既に他界・または年老いた親に対しての責め今、まさに「親」になっている本人に不安を募らせる・・・不毛。子供は無邪気で天真爛漫に、夢を抱いて成長できるのが理想ではあるけれど、生まれた場所・時代・個人の性質によって差異があるのが現実。  そもそも「子供らしいこども」の定義って? 『可哀想認定』よりも今、しんどいことを乗り越える後押しをしたい。子供のころに、取りこぼしたことでも今、カタチは少し違っても、埋められるものが多いことを伝えたい。子供の心と大人の心、実は同じ自分の中にあるもので死ぬまで必ず、みんな両方持っているから。 
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可哀想な人?

そもそも「可哀想な人」っていないと思うの。 誰かが「あの人、可哀想」って思うから、本人の意思とは関係なく勝手に「可哀想な人」が出来上がってしまうだけじゃないのかな…。 それと、本人が「私は可哀想」って思うと、これまたもれなく直ぐに「可哀想な人」が出来上がる仕組み。 だから幸せか否かは自分が決めることであって、誰かにとやかく言われる筋合いはないってことー☆*: .。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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