♪続・国語恐怖症だった児童時代 #2
♪連続更新により、本来シェアすべき画面の小さな(?)占有、先に掲出の己が記事の内容に反してしまい、申し訳ありません。それでもの今編、冒頭に 『お礼』 のような 『言い訳』 のような一文を、追加させてやってください。
ハートマークの横の数字が増えたり、フォローなる対応をしていただいたり。 貴重な時間と労力を費やし、拙記事をご一読いただき、本当にありがとうございます。
ところがスマホ未所有の頁生です。 LINE / Facebook / Twitter / Instagram などなど、一切手を出していません。
これらを介しての正しいコミュニケーションのノウハウも、理解が怪しかったりします。
「リツイート」 「いいね」 など、言葉は目や耳にしていますが、そこで止まっています。 色々届けていただいたとしても、きちんとお返し(=お礼のリアクション)ができません。
さらに現時点では、上記各々に手を出すつもりもございません。
決して無視しているわけではありません。 ノー・リアクションはもしかすれば 「非礼」 なのかも知れませんが、私のスタンスと知識力量、ご理解ご容赦いただければ幸いです。- - - - - - - - - -※ 以下、前編に続いてご一読ください。
♪ 【読書感想文学校代表選出の公開処刑(小4)】
昭和40年代前半の小学校では、教師児童保護者を問わず、
『成績が1番の児童が、無条件であらゆるジャンルの代表になって当然』
この暗黙の了解的な価値観に、異を唱えられる雰囲気ではありませんでした。進級した学年の1学期の学級委員は、男女それぞれの主席が務めて当然。
一応名目
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