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「ピカソとミレイユ~♪」

1951年12月5日、ピカソは、南フランスのアトリエで、ミレイユという少女のエンピツ画を描いた。ご存じだろうか?この絵を?・・・ボクは知らなかったのじゃ。しかも「エンピツ画」じゃ。^^;やっぱし、ボクは「ピカソ」といえば~、あの「ワケわからん画風?」がイイのじゃ。たとえば「ゲルニカ」とか~「泣く女」とかじゃね。ただ「ゲルニカ」も「泣く女」もね~「スペイン内戦」が舞台じゃ。1937年の内戦中に、確か「ドイツ・イタリア」が、内戦中のスペインのどちらかと組んで?第一爆撃で「ゲルニカの街を爆破」し~、第二の攻撃で「市民を機銃掃射」し~、第三の攻撃では「焼夷弾(しょういだん)」を使い街を完全に「廃墟」にしたのじゃ。この時「パリ万博」の「スペイン館」の担当だったピカソが「壁画に描いた」のが、「ゲルニカ」じゃ。それに「ゲルニカ」の中にも「泣く女」が入っているといわれているぞよ。そりゃね~、今でいえば「ウクライナ」とか「ガザ」の悲劇と一緒じゃん。もし今「ピカソ」が生きていたらね~、おそらく「ウクライナ悲劇」と「ガザの公開殺戮(さつりく)」も題材にして絵を描いたと思うぜよ。「ミレイユ」の「エンピツ画」を描いた当時から、既に70年以上経過しても、まだ、なお、「破壊活動」をしている「世界」じゃ。なにやら「ピカソ」って「共産党員?」ということじゃけど、当時はね~「芸術家」とか「知識人」や「文化人」とかって、当時「最先端思想=共産主義」?みたいな感じじゃ~なかったのではナイじゃろ~か?!違うかな~??ま、ボクのよ~な「無思想=無宗教?」的な人間からすれば、「共産主義」や「社会主義」、「資本主義」とかにし
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ルナのアトリエ♥シリーズ25周年記念♥ユーヤ・ペンギンさん感謝♥

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆タイトルにあるようにこのイラストは 私の大切なご支援者で応援者である ユーヤ・ペンギンさんへのお礼としてお描きしました ユーヤ・ペンギンさんから超・貴重な資料や情報もいただいてます!!!!! 心から感謝の気持ちでいっぱいです!!!!!!!!!!♥♥♥♥ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ★新番組【ライザのアトリエ】始まりましたね!!!!! 実は私の地域では群馬テレビの放送で日曜日深夜0時でしたが 1話からいきなり1時間スペシャル枠で、すぐ観れませんでした(汗) 1話からいきなり1時間スペシャル枠といえば 『Fate/strange Fake』もですね!!!!! これもやはり群馬テレビ放送で、その翌日月曜の深夜0時半から♥ これもようやく昨日観れました(汗) 両方放送してくれて群馬テレビに大感謝です!!!!!♥♥♥♥ 嬉しい悲鳴ですがHDD録画機残量が少ないので(消せない性分なので) スペシャル連発だと厳しいです(苦笑) ★『ライザのアトリエ』も『Fate/strange Fake』も、 ・・・というか【今期の新番組情報一覧】を ユーヤ・ペンギンさんから教えていただきました!!!!! しかも今期だけでなく ユーヤ・ペンギンさんから【番組改編期ごとに新番組情報一覧】を いただいております!!!!! 私は時間無くてチェックできずにいるので本当に助かってます♥♥♥♥ ★【アトリエシリーズ】今年で25周年です♥♥♥♥ 私は初代PSで1作目【マリーのアトリエ】からハマりました(●´∀`●) まず主人公が勇者でな
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アトリエ・モネットのキャビネット

アトリエ・モネットは、10/8に、リビングの片隅で生まれました。画材道具一式は、自分の好みをいっぱいに詰め込んだDIYキャビネットの中。作業スペースは、開いているダイニングテーブルや、ソファの上や、ベッドの上。とても『アトリエ』とは程遠いですね。でも、心を込めて作品を作っているのであれば、作業場所なんてどこだっていいんじゃないかな、と思います。自論ですが、場所より肩書より大事なのは、自分自身が『ときめき』を感じながら作品づくりをしていくことのような気がします。今でも私の作品作りの根底にあるのは、子供の頃の『ときめき』です。小学生だった私は、絵を描くのが大好きで、家族、友達、道端の花、昨日見た夢、空想の物語…それこそ、なんでもスケッチブックに描いていました。私は引っ込み思案で、友達も少なく、運動もできず、苦手なことばかりあるというのに絵ばかり描いていました。(そんな私に何か言うでもなくそっと見守り、肯定してくれたのは祖母でした。今でも感謝してもしきれません。)そんな幼いある日、小学校の図工の先生に呼び出されました。『あなたの絵が、県の絵画コンクールの金賞に選ばれたよ!』…びっくりです。コンクールなんて、当時の私の頭の中にはまるでありませんでした。図工の時間も、ただただ楽しんで、真っ白な画用紙が自分の空想で埋まっていくのにドキドキして、『ときめきながら』絵を描いていたのでした。『金賞』だって。それを聞いた当時の私は、うれしいという感情よりも先に頭がまっしろになってしまったことを覚えています。『金賞』を取れたのは、後にも先にもあの一度だけでした。大人に近づけば近づくほど、私たちは『と
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