愛のある男
子供を育てていると、人間がどのように意識が形作られていくのか、その後どのような人生をつくりあげて歩んでいくのかという一連の流れがみえるようになるのが良いところだと思う。 「こどもを育てる」ということだけに目的を絞ると、それはめちゃめちゃ労苦でしかないけど、子供によって多くの学びを与えられて、自分だけでは超えられない意識の限界を突破させてもらえることにありがたさや喜びを感じられるならば、子育ては本当に最高の修行場だと思う。 学校で問題を起こしている子供とそうでない子供の差は、はたからみると歴然で、いじめ、意地悪をしにいく子供は、例外なく、自分の親にいじめ、意地悪をされて育った子供である。いじめられる子供も、親に圧力をあたえられて、抵抗できないで育った経験のある子供で、この両者がそろってはじめて「いじめ」が成立する。 そもそも算命学では、加害者と被害者は、陰陽であると考える。つまり、片方だけがいた場合は、何事も事件は成立しない。同じ意識次元の極をつくる両者がそろって初めて、物事は成立すると考え、どちらが悪いというようなことは判断しない世界なのである。つまり、原因のない被害者はいないし、原因のない加害者はいないのである。 つまり、親が、子供のこころを尊重したり、人権に配慮したりして育ててこなかったからこそ、いじめる子供はひとを大事にするということが、本質的にどういうことなのかがわからない。子供のまちがった認知が外に出ているわけなので、親とのやりとりがどのようにあってそうなったのかまで見ないと、その子の本質は見えてこない。ちゃんと聞き取れば、過去のその子との関わりの中で発生した親の人格
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