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恩はどこまでなのか?

「一宿一飯の恩」困っているときに、手を差し伸べてくれた人に対しいつまでも恩に報いる、逆にどこまで返すのか?を考えている時点でダメなのか?今、一宿一飯に恩を分かる人は居るのか?自分を守る為に平気で人を裏切る人それが普通になっているのか?私は、三国志が好きなので、吉川英治をはじめ数種類の三国志を読み違いと同じを探したことがある私が感じ取った≪同じ≫は、自分の志を貫き通す為の裏切りだと思います昨日の敵は今日の友いつ敵になるか分からない・味方になっても直ぐに裏切られるその部分のみをしてに持って三国志を読むと今までと違う感覚になります話を元に戻し、恩を受けその恩に報いる時は、報いる人によって変わってしまうと思います義理堅い人であれば、続けることに道をかんじます時に何もの人には、良い所で打ち切りにすることも大切だと思います
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感謝の気持ちは時間の経過とともに

助けてくださった方への感謝の気持ちは時間の経過とともに薄れていくのか?助けてくださった時の、感謝の気持ちは自分が出した実績の評価が正常にされていないと感じた時点で薄れていくのか?お願いする時は、藁をもつかむ思いでお願いしているのに藁を掴んだ後は、平気でその時の恩(気持ち)を忘れることが出来るのか?逆で考えると、感謝の対象には、ずーと正当な評価を求めてはいけないのか?こんな話を聞くことがあります。「助けてくださった」=「必要」とも推測できますし「助けてくださった」=「これくらいの金額なら」と思われているともお願いの方法やその時の気持ちは、置いておいて、「助けてくださった」時点で≪契約≫が成立しています。その後の評価は、≪契約≫内容に沿った目的を達成できているか?です。達成できているならば、≪契約≫満了前の更新で交渉するだけですし、達成できていなければ、終了OR継続の話になるだけだと思います。一宿一飯の恩はとても大切と思うこともありますが。どんなスタートにせよ≪契約≫として、結果がどうか?で判断されると思います。感謝・恩と自分の卑下は全然違うと思います。
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ouen

夢を叶えるのは自分のチカラでは無理。と、仰る人がいました。夢を叶えるのは、応援してくれる人達のチカラ人に頼らず、自分のチカラで生きてきた自負がある大人はどう思うのか?<人は、そんなにいい大人ばかりでなく、常に騙そうとしている。><夢は自分のチカラで叶えるものだ。>「お困りの時は、なんでも言ってください」聞いてはくれます。「この恩は、忘れません」24時間で忘れます。エビングハウスの忘却曲線でも分かります。【応援】純粋であり、最も純粋でない言葉の一つなのかもしれません。
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