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ひどいことをされた

ひどいことをされた。何とかしたい私もね、サラリーマンをやると必ず部長がひどいことをやっていじめてきます笑ながらやめてくれよというとさらに5歳児のように攻めてきますとある魔法のカードをね、会社のロッカーと壁の隙間に縮小印刷して入れましたそしたら、3か月後に自己破産。奥さんとは離婚 一家はちりじりバラバラで 家は人手に渡ります僕は何もしません。 通常業務してただけさらに魔法のカード追加そしたら 肺の病気が発覚しましたが、11月に旭川のさらに北の出張所の所長に追いやられて同1月、出張所が子会社になってその人は社長になりけれども業績が悪いので5月に解任で会社は解散。その先どうなったか知りません。何もあなたがやいばを持つ必要はありません。ひどいことをした商社の人がいました。 部下の超美人な中年女性がその男の不倫関係に飽きて会社を追い出されて伯母に相談をしたのです。叔母は受けませんでしたが私が受けて魔法のカードを渡したら日付は言えませんがその男自殺なさって、当時新聞に出ました因果関係は不明です でもそこそこの会社にいたのとそこそこの役職だったのと あの当時その会社かなり悪いことをしておりましたが自殺と同時にいろいろな子会社と本社が合弁しわけわからなくして会社の体制を取り持ち悪いことは全部その自殺した男に押し付けたのです小麦、コメ、不動産、海外でしくじった資本などだから遺族には会社からは何も支払われなかったと。長期信用銀行支店長 あとちょっとで本社勤務確定で熱を入れていろいろやっておりましたが毎日パワハラでとある女性の部下に相談され、魔法のカードを授け貴方のお部屋の枕元に貼りなさいとでそれか
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マイナスのラベリングとジャッジメントから自由になる

私は以前、自分に無意識にマイナスのラベルをつけていました。「私はこういう性格だから仕方ない」とか、「わたしは不器用で人より劣っている」など。一度そう思い込むとその枠の中でしか自分を見られなくなり、可能性を自分で狭めてしまっていました。でも人が本来持つ力は未知数です。まだ見つけていない自分の一面や、思いがけない場面で発揮される力もあるはずなのに、一旦マイナスのラベルをつけてしまうとその芽を摘んでしまうのではないかと思い始めます。他人に対しても同じように、ついジャッジしてしまうことがありました。「なんであの人は理解してくれないんだろう?」「あの人は冷たい人だ」けれど相手を一方的に決めつけるたびに、自分のせいだと落ち込んだり、必要以上にイライラしたりしていたんです。振り返ってみると、ラベリングやジャッジメントをしてしまうのは、私が安心したいからだったのかもしれません。人を「こういう人」と決めてしまえば、その人を理解できたような気持ちになれる。自分を「こういう性格だから」とラベリングすれば、見えない可能性や未知の自分に向き合わずにすむ。一見すると安心に思えるけど、実は自由を失って窮屈になっていたんだと思います。そんなとき、「ラベリングもジャッジメントもただの思い込みかもしれない」と気づきました。私が「不器用」だと思っていたことも、別の角度から見れば「丁寧さ」や「慎重さ」として強みになることもあります。それに気づいてから、少しずつ「決めつけずにそのまま受け止めてみよう」と意識するようにしました。すると相手の良い面が自然と見えるようになったり、自分のことも以前より認められるようになりました
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ジャッジメント(批判)のない状態とは

2024年9月17日 初ブログです。初めまして。重い腰をあげて本日からブログをはじめたいと思います。元々個人のSNSでは日々気づいたことや思いついたことを気ままに綴っているのですが、私の投稿を面白いと言ってくださる方が多いので、ブログという形でより多くの方の目に触れれば、微力ながらも何かの貢献になるかなと思い書いてみます。表題にもあるジャッジメント。生きていると様々な人間関係が生じて否が応でもでも誰かを批判したり、誰かから批判されたりがあると思います。人の良いところを見つけよう!などと良く聞きますが、中々難しい。少なくとも私は難しい。心理学を学び、日々トレーニングしている私でも難しい。そんな私ですが先日、これがゼロジャッジメントなのかも知れないという体験をしました。旅先で早朝、森の中を一人で散歩していた時のこと♪誰もいない森の中、新鮮な空気、小鳥のさえずりを味わいながら歩いているととても心地よくゆったりとした気分になりました。その時ふと、「ああ、これがゼロジャッジメントだ。」と体感できたのです。自然は人をジャッジメントしません。ただそこに在るだけ。静寂と平和と許容となんなら愛さえ感じました。だけどずっと仙人のように森に引きこもっているわけにも行きません。会社や学校、アルバイト先に意地悪な人がいたら、毎日地獄です。その上ジャッジメントはやめましょう。なんて課題を課せられたら苦しくて仕方ない。そもそもジャッジメントって何でしょうか。何かや誰かに対して批判めいた気持ちが湧き出ること?私はNOだと思います。自分以外の物事に対して沸き起こる感情や思考は知覚だと思います。ここまでは単なる気
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心が辛いとき

先日、ほぼ初対面の方にそれはそれは失礼な文面のメールをいただき、久しぶりに血が逆流するほどの怒りを覚えました。ちょうど新しいことに挑戦しようと、そのことが始まる前日に、関係者の方が私に確認もとらず決めつけた内容でメッセージを送りつけてきたのですが、もちろんそこははっきりと違う旨お伝えしましたが。そのことで出鼻をくじかれたような感覚と、最近リラックスした状態での出来事だったので、失望感や怒りや、焦燥感やら色々な感情に襲われるわ、翌日に控えていたため若干の気の重さと相手への止まらぬジャッジメント、胃の不調感。たくさんの感情とエネルギー状態に襲われました。自分、打たれ弱ーい。これは一体なんなのだろう?ここから何をえられるだろうか?とリラックスを心がけて自問してみても重ーい。なるべく捕らわれないように過ごしていたところ、ある方からのヒントであっけなくすべての感情が解けてなくなりました。自分が激しく抵抗したり、強い刺激になる出来事は自分がどう扱ってほしいか、なりたいかをしるよい機会。どういうことかと言うと、今回の件を例に挙げると、私の怒りポイントは相手の私に対するリスペクトの無さ。そう、私は今までもすべての事案において、リスペクトの無い状態が我慢ならないのです。このことに気づいた途端、相手への怒りや、自分に対するうまくいかないのでは?という恐れ、ジャッジメントすべて溶けてなくなりました。なんなら、失礼民に対して気づかせてくれてありがとう。って気持ちすら湧きました。よく、他人を変えることはできない。自分が変わればいいと言いますが、真の意味での自分が変わるとは、自分をジャッジすることなく、起
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