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生きづらさとの付き合い方③前進するための休息

あなたの幸せの芽を育てたい。 公認心理師のyuriです。いつも応援ありがとうございます。「負けを認めるのも大事」ゲーム中の娘のつぶやきです(笑)そうそう。人って、自分の負けを認めるのって嫌なんですよね。・・・・・・私だけ???もうすぐココナラ開始から1か月。このままじゃ、ココナラブログだけ楽しむママさんで終わってしまう‼正直、ちょっと焦ってきました(汗家族、ただ流れていくつぶやき、パワーバランスが気になる友だち、相談という名の表面的なうなずき、同情、とは違う、カウンセリングの意味。どうしたら伝わるだろう??信頼関係が築かれた人同士の心と心の交流。そのための場とするには…?やりたいことと、今できることの間で葛藤。もどかしい…どうしたら伝わるのか、これからも葛藤しながら続けていきます。はい愚痴終わり。~~~~~~~~~~~~~~~~鬱の患者さんのご家族や不登校の子がいる親御さんから「いつまでこのまま待っていたらいいんですか?」と言われます。カウンセラーは見守れ、休ませろ、しか言わないと。(そんなことないぞ‼←また愚痴)この「休みの時期」って、永遠じゃないんです。永遠に感じてしまうけど。鬱も、不登校で活動できない子も、心のエネルギーを使い切って疲れてしまっている。動かないのではなく、動けないの。そのご家族は、思い通りにいかない動かない患者さん、子どもさんがずっとこのままなのではないかという不安から、急いでしまう。ここのギャップで、しんどい。でも、具合が悪いから休息を取るって当たり前なんですよ。風邪をひいて熱が出たら寝る。お腹を壊したら、食事を控える。熱が下がってきたら、無理しないよう
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【爪切りでできる心理療法】わたしの手がいつもキレイな理由。

最近すごく好きなものがある。みんな大好き、「ちいかわ」だ。登場するキャラクターの中でもいちばん好きなのは、やっぱりちいかわ。小さな幸せを大切にしていて、笑ったり泣いたり頑張っている姿が何とも愛くるしい。アニメが更新される火曜と金曜を心待ちにしているほどである。お気に入りのシーンがたくさんある中で、特にリピートして見るのが、ちいかわが爪切りをする回。ちいさな爪をパチンパチンと切って、きれいになったのが嬉しくて思わずステップを踏んで踊ってしまうシーンがある。それが普段の自分と少し重なって、なんだか愛おしくなるのだ。わたしは、頭の中で過去の嫌な記憶がフラッシュバックしたり、不安で胸が苦しくなったりしたとき、おもむろに爪切りを握る。爪をきっている間は、不思議と他のことは考えなくなる。 考えている余裕がない、と言ったほうが正しいかもしれない。なぜなら爪切りという道具は、刃物だ。「絶妙に自分を傷つけてしまう危険性」がいつでもある。深爪をしたらしばらく痛いし、かといって長すぎたら生活の邪魔になる。間違って指先を傷つけようものなら血がでてしまう。だからこそ、わたしたちは爪を切るとき、自然と手元に、刃先に、100%全神経を集中せざるを得なくなる。パチン、パチン、と静かな部屋に音が響く。 その音を聞きながら、1ミリ単位で自分の体の一部を丁寧に整えていく。その瞬間だけは、外でどんな嵐が吹き荒れていようと、私の脳内は完全に「今、この爪を切る」ということだけで満たされる。過去の後悔も、未来の不安も、すべてが刃先に遮断される。まるで、強制的な思考停止ボタンを押したような感覚だ。そして切り終わったあと、ふと
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【またわたしを置いてくの?】母の突然の入院で、私のインナーチャイルドが激しく泣き叫んだ話。

母親が入院した。定期検査で脳動脈瘤が見つかり、破裂の可能性は1%くらいだけど安全のために手術で処置しましょうという話だった。お医者さんは「カテーテル手術なので、体に負担はほとんどありません。手術の次の日から仕事ができますよ。」優しい笑顔で言った。「ほんとうか?」わたしは内心、そう思った。母は70歳を超える立派な高齢者だ。それに加えて仕事はステージの上で歌を歌うこと。事務仕事とはわけが違う。情緒的に声を出すことは、想像以上に体力を使う。血圧だって急上昇する。ダンスこそしないものの観客を飽きさせないために、ステージ上を動き回らなくてはいけない。歌手だということは、そもそも医師に伝えていたが、医師にその認識は無い。わたしは、付き添った1回だけの診察のときにすぐに悟った。心臓と脳の手術のスペシャリストということはよくわかった。解りやすい説明、寄り添う姿勢、絶対大丈夫だという自信・・・。「あぁ良かった。先生に全部お任せします。」医者を神様みたいに信用して、安心しきったようにべったり甘え、早速手術の日程を相談し出す二人のやりとりが私はこの上なく気にくわなかった。「絶対にわたしが苦労する羽目になる。」そういう予感がビシビシ脳内をめぐっていた。そして、やはりその予感は的中してしまう。目の前においしそうな餌があったら他のことに目が行かなくなって、何もかもかなぐり捨てて突っ走っていく。母のその勢いはすさまじく、誰にも止めることができない。楽しいイベントを計画して実行するときは、多くの人を巻き込み、まるでどこかの宗教の教祖みたいにひとだかりを作る。リハーサルや会議やそれに伴う酒の席。もちろん家のこと
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ずっと好きでなくていい /「好き」のハードルを下げてもっと軽く

「好きなことは何ですか?」と聞かれたとき、答えに困ってしまったことはありますか? 困ってしまったこと自体がいけないわけではありません。 質問に答えられなかった自分に、もやもやしたり、 「自分の好きなことが分からない自分」に幻滅しそうになるかもしれませんね。-----もしかしたら、「好き」という言葉を、とても重くとらえすぎているのかもしれません。 例えば、子どもの頃からずっと好きでい続けていることだけを「好き」と呼んだり、 昔はあんなに好きだったのに、今はもう興味がないから「好き」とは言えないと判断したり、無意識のうちに決めつけてしまっているのかもしれません。「好き」はもっと気軽で、瞬間的な感情でもあります。例えば、トマトが好きだとします。 昨日のトマトはすごく美味しかったけれど、今日のトマトは少し味が落ちる…そんな日もありますよね。 味については「美味しい」「少し残念」と感じても、トマト自体が「好き」という気持ちは、そう簡単には揺るがないはずです。好きなことは必ずしも「ずっと変わらないもの」ではなくて、今の気持ちやその瞬間の感情によって変動しても良い、ということです。その時々で、あなたの心が「好き」だと感じるもの。 それが、今の自分にとって一番大切な「好き」なのですから。難しく考えずに、「ちょっと気になる」「これ、いいな」と、感じるものがあれば、 気軽に「好き」と認めてみましょう。 ------「ずっと好きでなくていい」。もっと自由に、「好き」を楽しんでみまましょう!そうすれば、「好き」のハードルもぐっと下がり、自分の心に正直になれると思います。
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キャラを作っていて、とても疲れている

物心ついたときから、いくつかの自分がいて、場面場面でコロコロと自動的に切り替わり、どれが本当の自分か分からない。そんなことはありませんか?「自分」という存在に実体感が持てず、地に足がついていない感じがして、いつも周りの環境に影響を受けていて、「自分」で生きている、と感じられないとき。大きな空虚感が自分の真ん中を陣取っていて、「私って本当に空っぽだなぁ」と思ってしまうこともあるかもしれません。生きること、生きていくこと、に途方もなく不安があって、その不安に押しつぶされそうで眠れない夜も何度も経験してきたかもしれませんね。ーーーーーーそうなるのは、あなたが悪いからではありません。あなたの生まれ育った環境によるものです。生まれ育った環境なので、自分ではどうすることもできなかったことがきっかけとなっているのです。親子関係や家族の中で、しっかりと愛され、自分の存在自体を心から喜んでもらえること。そういった環境や体験が継続的に積み重なって、わたしはいていいわたしはみんなの幸せなんだわたしはみんなを頼っていいそんなふうに「自分」という存在を認識できるようになっていきます。ところが、そうではなかったとき、自分で自分を愛する、ということを学んでいく必要があります。自分という人間を自分で丁寧に理解してあげる、ということです。自分の心や感覚や感情に、自分の意識を向け、何を感じているのか?どんな感情なのか?どんな考えがあるのか?他人の意見や評価からではなく、自分の内側から自分を感じてみます。静かに呼吸を整え、思考を休ませ、自分の内側にもぐっていきます。最初はエゴの自分ばかりが出てくると思います。難しさ
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自分を否定しないでいられる場所

緊張していても上手に話せなくても無言のままでもどんな自分でも全てが受け入れられ否定されない。そんな場所を持っていますか?きっとそんな場所が1つでもあれば、心のよりどころとして自分を支えてくれるとても大切なものになっていると思います。受け入れられ、否定されないと分かると人は安心し、少しずつ自分のことを話していけるようになります。支持はされなくても、自分の気持ちや考えを大切に扱ってくれて、認められ、理解しようとしてくれる姿勢は、とてもあたたかいものを心に感じます。それを何回も繰り返していく体験ができると、自分の根っこに‘’こんな自分でもいいんじゃない?‘’という思いや考えが根付いていくようになります。そうすると、友人関係や職場の人間関係も、良い意味でゆるんできて、以前より楽にお付き合いができるようになったり、もう無理に付き合わなくてもいいかなぁ、と自分自身が納得のいく選択として、お付き合いを終わりにすることができるようになります。苦しかった色々な場面が少しずつほどけていき、「こんな自分も悪くない」と自分を恥じるのを止めることができるようになります。大きな変化ですよね。それくらい「否定しないでいられる場所」を持つことは大切なことだと思っています。もしそんな場所を探しているなら、私とお話してみませんか。
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「できないこと」が自分を知っていくことになる

「できない」と感じることはありますか?それは頻繁にありますか?「できない」ということは「苦しみ」になりがちです。どうして他の人が普通にできることが自分にはできないのか?「できない」という1つの側面を使って、自分責めや自己否定に意識や感情が向かってしまうことが多いと思います。「できない」には種類が2つあると思っています。1つ目は、全体意識からすると、自分がする必要がない、つまり自分の役割ではないから、必要がなくて「できない」。2つ目は、本来ならできるのに、「できない」と思い込み、その思い込みから脱出して「できた!」という体験をしてみたくて一旦、「できない」としている。今、自分が悩んでいる「できない」はどちらにあたるのか?私の推測では、1つ目の方が圧倒的に多い、と今のところ思っています。1人の人間にそんなに多くの役割は与えられていない、と思うからです。全体が私たちに期待しているのは、「自分を生きる」「自分らしく生きる」ことだと思っています。自分を知っていく。自分を深めていく。自分を研ぎ澄ませていく。全体を感じ、自分を感じ、自分の内側が反応するものに、そのときの自分の「真実」があると思います。その「真実」を大切にしながら、信じて進んでいくことは、「本来の自分」「自分そのもの」に繋がっていく流れに乗るようになるからです。日常の中の「忙しさ」や「過剰さ」の中に無自覚にいると、「できない」と感じさせられることが本当にたくさんあります。「できない」から何かを買い求めるように誘導され、一時的な満足を与えられています。「できる」という感覚や感情は、自己肯定感をアップしたり自信につながっていきます
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