「分断なのか?」【和して同ぜず】&メンタル・タフネス_2つの秘儀=
「分断なのか?」【和して同ぜず】&メンタル・タフネス_2つの秘儀=
■最近「分断」という言葉をよく耳にします。
人は、誰でも「好きな人」と「そうでない人」はいると思います。
■【自己受容】と【他者共感】
自分の中でさえも、好きな部分とそうでない部分は、
誰にでもあるんじゃあないでしょうか?
・「私この鼻が嫌い」、・「私この体型が嫌い」、
・「私こう考えるところが嫌い」、
・「私本音じゃないことを言うのが嫌い・・・」など、
数え上げたらキリがない。かも?
でも、
嫌いだけれども「分断」することのできない自分。(笑)
■『総合的な自分という存在!』
原点に立ち返り、
人類は、まず『総合的な自分という存在!』を
受け入れつつも、他者と共存し、
ある程度、認めつつも生きてきました。
「好きな部分」と「そうでない部分」を共有しながら生きていく。
=人は一人では生きていけない=ので。
■孔子の論語の中に、
「和して同ぜず」という言葉があります。君子は誰とでも「協調」するが、
道理にはずれたことには「同調」しない。
主体性をもって人とつき合うべきだ、という意味
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■「常識」ではなく「良識」という考え方。
■「常識」とは?
社会的に当たり前と思われる行為、
その他物事のこと。社会通念ともいう。対義語は非常識。
いったん物事が常識として受け入れられれば、
その物事は異議を差し挟まれにくくなる。
そのため、常識の内実はしばしば大きな政治的価値を持つ。
常識は、メディアを通じて変じることがある。
■「良識」とは?
偏らず適切・健全な考え方。そういう態度の見識。
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