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ドラキュラのモデルとその背景

そもそも、夜になると眠っている人間の生き血をすするという吸血鬼伝説が西ヨーロッパを中心に知られるようになったのは16世紀のこと。 現在馴染み深い「ドラキュラ伯爵」の話も、その吸血鬼伝説の一つと言われています。 舞台はルーマニアの辺鄙な街。 誰も住まない古城のかつての城主がドラキュラ伯爵です。 夜になると棺から出て、吸血コウモリに返信して生き血をすすり回るというストーリー。 多くの方がご存知の話だと思いますが、本来の吸血鬼伝説は吸血コウモリとは無関係だったと言われています。 現実には吸血コウモリは元々ヨーロッパには生息せず、18世紀はじめに中央アメリカや南アメリカで発見され、はじめてその存在が知られたものです。 そのため、16世紀のヨーロッパに残された話に出てくるのは不自然です。 つまり、ドラキュラの物語は18世紀以降、歴史とともに内容が変遷していったことが伺えます。 ドラキュラという言葉はルーマニア語で「悪魔」や「ドラゴン」を意味し、その言葉を冠されたのが15世紀半ばに実在した南部ルーマニア、ワラキア公国の支配者、ヴラド三世(ヴラド・ツェペシュ)です。 ヴラド三世の父はヨーロッパを度々イスラムの脅威から救った英雄で、ドラクル=龍の称号を与えられた人物で、ヴラド三世も自らを『ドラクラ(竜の子)』と称していたらしく、それが『ドラキュラ』の元と言われています。 ヴラド三世は敵や裏切り者を生きたまま杭に串刺しにするといった残虐な行為を行っていたため、それがドラキュラ伝説と結びついたのだろうとされています。 ただし、ヴラド三世は残忍な刑罰は行いましたが、吸血鬼呼ばわりされるような行為は行
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【教養としての読書】メアリ・シェリー「フランケンシュタイン」①

大企業産業医、かつ内科専門医のココナラドクターです。今回は映画化され、有名になったメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」をご紹介。【まずは作者メアリ・シェリーの紹介】1797年~1851年。政治学者の父、女性の権利を主張する文学者の母のもとに生まれる。母は出産後数日でなくなってしまい、父の再婚相手と合わず、寂しい少女時代を送る。16歳で既婚者であったパーシー・シェリーと駆け落ちをする。継母の連れ子であったジェイン(後にクレアと改名)が駆け落ちに同行する。クレアは当時ロマン主義の詩人として人気であったジョージ・バイロンの愛人となり、クレアを通じてバイロンとメアリたちの間に交友関係が生まれる。1816年、メアリとクレア、バイロンと友人たちはスイスのレマン湖畔に旅行。退屈しのぎに怖い話を順に話していくことに。この時、メアリが思いついたのが、フランケンシュタインの話であった。(バイロンの侍医ジョン・ポリドリも同行しており、吸血鬼物語を創作。のちにブラム・ストーカーがこの作品に影響を受け、「ドラキュラ」を執筆。)この頃、父親違いのファニーという姉が出生の秘密を知り自殺、メアリの長女が生後すぐなくなり、パーシーの奥さんのハリエットが投身自殺をするなど悲劇が多く起こる。次女も赤痢で死亡、長男も3歳でマラリアで死亡、第5子は流産。隣り合う生と死がメアリを早熟にし、文学作品を作らせたと言えよう。★あらすじは次回ご紹介!!
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