ドラキュラのモデルとその背景

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そもそも、夜になると眠っている人間の生き血をすするという吸血鬼伝説が西ヨーロッパを中心に知られるようになったのは16世紀のこと。

現在馴染み深い「ドラキュラ伯爵」の話も、その吸血鬼伝説の一つと言われています。

舞台はルーマニアの辺鄙な街。

誰も住まない古城のかつての城主がドラキュラ伯爵です。

夜になると棺から出て、吸血コウモリに返信して生き血をすすり回るというストーリー。

多くの方がご存知の話だと思いますが、本来の吸血鬼伝説は吸血コウモリとは無関係だったと言われています。

現実には吸血コウモリは元々ヨーロッパには生息せず、18世紀はじめに中央アメリカや南アメリカで発見され、はじめてその存在が知られたものです。

そのため、16世紀のヨーロッパに残された話に出てくるのは不自然です。

つまり、ドラキュラの物語は18世紀以降、歴史とともに内容が変遷していったことが伺えます。

ドラキュラという言葉はルーマニア語で「悪魔」や「ドラゴン」を意味し、その言葉を冠されたのが15世紀半ばに実在した南部ルーマニア、ワラキア公国の支配者、ヴラド三世(ヴラド・ツェペシュ)です。

ヴラド三世の父はヨーロッパを度々イスラムの脅威から救った英雄で、ドラクル=龍の称号を与えられた人物で、ヴラド三世も自らを『ドラクラ(竜の子)』と称していたらしく、それが『ドラキュラ』の元と言われています。

ヴラド三世は敵や裏切り者を生きたまま杭に串刺しにするといった残虐な行為を行っていたため、それがドラキュラ伝説と結びついたのだろうとされています。

ただし、ヴラド三世は残忍な刑罰は行いましたが、吸血鬼呼ばわりされるような行為は行っていませんし、さらに言えば伯爵でもありません。

現在のドラキュラの設定は1897年にブラム・ストーカーが出版した怪奇小説「ドラキュラ」によるもので、大半が創作とされています。

ヴラド三世の名誉のために書きますが、現在は、故国を侵略から守るために戦った英雄として再評価されている側面もあるようです。

今で言うと、フィリピンのドゥテルテ大統領のように国際社会からは非難されているけれど国民からの支持は厚い、という感じでしょうか。

Netflix版「ドラキュラ伯爵」では新しいドラキュラ像が提示され、且つ文学的に昇華された物語となっています。

90分×3話と見易い配信形式ですのでお暇があれば、ぜひご覧になってください。
こうやって物語は少しずつ変わっていくのだと感じることができると思います。
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