価値があるのに売れない、、、と嘆いている人へ。見られて売れている側を「悪」と切り捨てる前に、見ている点数表が違う、と気づいた方が早い。

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ビジネス・マーケティング
あなたが持っているのは、たぶん本当に価値のある情報だ。間違ってもいない。実務で見たこと、独学では気づきにくいプロとアマの差、そういうものは確かに稀少だ。だが稀少であることと、届くことと、売れることは別の試合である。ここを一つに束ねたまま「なぜ誰も見向きもしない」と言うと、原因を永遠に外側に置ける。外側に置く限り、気づきは来ない。

情報には少なくとも三つの点数がある。読者の得になるかという価値。誰の手柄かという帰属。今この場で開かれるかという売上と視線。正しい情報は一枚目を取りにいっている。パクって売る側は、二枚目と三枚目を取りにいっている。中身が元より深くなる必要はない。元が正しければ、切り貼りしても大きくは壊れない。壊れないものを、欲しく見える形に変え、見つけやすい場所に置き、今すぐ要ると言っているだけだ。だから「パクった情報に価値がない」は成立しない。価値の一部は元からあった。足されているのは、発見される装置と、欲しくなる装置である。

見向きされない側がやりがちなのは、一枚目の点数だけを掲げて、残りの二枚を道徳の問題にすることだ。出典を切って手柄を自分に付け替える行為は、事実として汚い。そこは汚い。だが汚いことと、なぜあちらが目に入るかは別である。あちらが勝っているのは正義ではない。試合の選び方である。あなたが「必要な人に見つかればいい」と思っているなら、その試合に出なくていい。出ないなら、観客が少ないことを敗北と呼ぶのもやめた方がいい。観客の少なさは、目的に対する正常な結果であることがある。

収入にしたい人は、ここから先が本番になる。情報を売って生活したいなら、価値の供給者であるだけでは足りない。買い手は、価値そのものより先に、自分の不安が解けそうな形を買う。FXなら典型的で、アマが欲しいのは「プロとの差」そのものより、差が今すぐ埋まりそうな物語である。プロが見ているのは期待値、損失、再現できない感覚を切る技術、自分の記録の読み方だ。これは正しい。同時に、買う瞬間の快感が小さい。一方で、誰かの一次情報や手法を薄めて「これで変われる」に再編集すると、快感は大きくなる。中身が嘘になるとは限らない。嘘になるのは、適用範囲と不確実性を削ったときだ。削ると売れやすくなり、残りにくくなる。売れやすくした人が「価値を出した」と感じ、削られなかった人が「価値があるのに無視された」と感じる。両方とも、自分の点数表では正しい。

だから「良い情報なのに売れない」の正体は、しばしば品質不足ではない。届け先の取り違えである。プロとアマの差を早く知ってほしい情報は、差を知りたい人には刺さる。差を知らずに勝ちたい人には刺さらない。後者の方が人数は多い。人数の多い市場に、前者の商品を置いて「見向きされない」と言うのは、高級な包丁を菓子売り場に置いて、誰もケーキを切らないと嘆くのに近い。包丁は正しい。売り場が違う。

さらに言えば、見られない理由は「マーケティング不足」と「買い手にしたくない人を無意識に拒んでいること」が同居している。正確な出典、失敗、曖昧さ、プロの退屈な結論は、必要な人には信頼になる。同じものが、今すぐ答えが欲しい人にはノイズになる。届く範囲を広げる技術は存在する。だが広げると、来てほしくない人も来る。 Pacった情報を売る側は、この選別を放棄している。放棄した代わりに、数を取る。数を取りたくて、かつ選別も守りたい人だけが、一番つらい位置に立つ。「価値で勝って、売上でも勝ちたい。でもあの手は使いたくない」。その願いは分かる。成立しないことも多い、と先に知った方がいい。

収入が要るなら、問いは「なぜ価値が報われないのか」ではない。「誰の、どの困りごとに対して、何を売っているのか」である。プロとアマの差そのものは、教材にも、警告にも、選別装置にもなる。警告として出すなら、売上は小さくていい。教材として出すなら、差を知ったあとに何ができるようになるかを商品にしなければならない。選別装置として出すなら、来なくていい人が来ないこと自体が成果である。ここを決めないまま発信すると、すべての反応の少なさが侮辱に見える。侮辱ではない。まだ商品の形をしていないだけだ。

パクる側を見て腹が立つ気持ちは、正しい場所に置いてよい。腹が立つべきなのは、正しさを盗んだことと、手柄を付け替えたことだ。売れていることそのものではない。売れているのは、価値の運搬と欲望の設計が上手いという、別の技能の結果である。その技能を学ぶことはできる。学ばないこともできる。学ばないなら、見つからないことを運命の不公平と呼ばないこと。学ぶなら、元の観測まで自分の発見にしないこと。技能は借りてよい。手柄の層まで借りてはいけない。

必要な人に見つかればいい、という立ち位置は、負けではない。市場の中央を捨てて、誤爆を減らす選択である。その代わり、世界は拍手しない。拍手が欲しいなら中央に出る。中央に出るなら、価値だけでは足りない。どちらを選ぶかは自由だ。自由でないのは、選ばずに両方の報酬だけを要求することだけである。

見向きされないのは、あなたの情報が無価値だからとは限らない。誰の得にもなっていないからとも限らない。ただ、得になる人と、今それを探している人と、お金を払う人が、同じ顔をしていない。その三人を同一人物だと思っているうちは、「価値ある発信なのに」という言葉が、いつまでも自分を守ってくれる。守ってくれる言葉は、気づきにはならない。
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